堀内恒夫
ほりうちつねお
概要
1948年1月16日生まれ。山梨県出身。
1965年のドラフトで読売ジャイアンツ(巨人)から1位指名を受け、入団。翌1966年から一軍でプレー。44回連続無失点を記録するなど、セ・リーグ記録となる開幕13連勝を含む16勝を記録。高卒選手ながら、最優秀防御率、最高勝率、沢村賞、新人王のタイトルを獲得。1967年からはエースナンバー「18」を背負った。
27歳で150勝を達成するなど1978年まで13年連続2桁勝利(そのうち12回がリーグ優勝)を挙げ、王貞治、長嶋茂雄らが活躍したV9時代のエースとして活躍。
当時阪神タイガースのエースだった江夏豊とはライバル関係で、特に節目の100勝目と150勝目は互いに同じ記録を掛けた試合での対決となり、100勝は江夏、150勝は堀内に軍配が上がった(なお、200勝目は堀内が江夏より2年早く、対ヤクルト戦だった)。
現役生活を通じて打撃にも定評があり、圧巻は1967年10月10日の広島戦において、投げてはノーヒットノーランを達成、打つ方では投手として史上唯一となる3打席連続本塁打を記録(投手の1試合3本塁打は史上2人目)、なおチームは日本プロ野球記録の6イニング連続本塁打も達成(ちなみに長嶋はこの試合未出場で、王は4タコ)、まさに堀内様様の試合であった。
なお、この試合、堀内は4打席連続本塁打の方は意識して狙ったが、それが途切れた後に、チームメイトから自身がノーヒットノーランを続けてたことを知らされ「じゃあしょうがないからそっちをやるか」と言ってのけた逸話がある。
また、日本シリーズでも史上唯一の投手による1試合複数本塁打(2本)を記録している。
1983年に現役引退。引退試合となった同年10月22日の対大洋ホエールズ(現在の横浜DeNAベイスターズ)戦では、巨人3点リードの8回表から登板。8回裏に回ってきた現役最終打席で投手ながら本塁打を放っている。投手としては2イニングを抑えてセーブを記録している。
なお、
引退翌年の1984年には、当時巨人の監督であったかつてのチームメイト王貞治の下で投手コーチに就任。1986年に一旦解説者や野球評論家に転身するが、1993年からは再び巨人の投手コーチに就任。(当時の監督は長嶋茂雄だった)1999年に再び野球評論家の道に戻るが、2003年オフ、前監督原辰徳の突然の監督辞任により、急遽巨人の監督に就任。しかし、テレビ中継をやめてしまうほどの成績不振のため、たった2年で監督を辞任した。