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津山事件の編集履歴

2019-07-20 21:17:59 バージョン

津山事件

つやまじけん

「津山事件」は、1938年(昭和13年)に発生した大量殺人事件。

概要

1938年(昭和13年)5月21日未明に岡山県苫田郡西加茂村大字行重(現・津山市加茂町行重)の貝尾・坂元両集落で都井睦雄によって引き起こされ無差別殺人事件で、刃物以外にも銃を使用して村民30名を約2時間で惨殺し、最後は都井の自殺で終わった。


30人という被害者数は、(明確に殺害された人数が判明している)近代以降の日本の刑事事件の中では当時最多の人数であり、日本の犯罪史上前代未聞の大量殺人とされ、現代においても犯罪やフィクション作品、都市伝説などに影響を及ぼすこととなった。


事件の経緯

都井は集落の比較的ゆとりのある家に生まれたが、病気で農作業ができなくなった時期があったことや姉の結婚などを機に次第に引きこもりがちになっていった。

徴兵検査でも病気が原因で丙種合格(事実上の不合格)になってからそれまで関係のあった近辺の女性たちにも塩対応をされるようになり鬱屈を募らせていた。


1938年(昭和13年)5月20日早朝、彼は集落の電源を切って停電させた上で猟銃を準備。

最初に自宅で自分の祖母を殺害し、近隣の住民や親戚を次々と殺害していった。

1時間半ほど犯行を行なったのちに遺書を書いて山に登り、自殺したとされる。


容疑者が死亡したこともあり動機などは未だ分からない点が多い(本事件を題材にしたルポルタージュの一部にも捏造が含まれた書籍もあり、現在でも不明な点が少なくない)。


事件後、貝尾・坂元両集落は働き手となる村民が著しく減少したことで、農作業を行うことが難しくなり、生活がかなり苦しくなったとされる。

また、彼と親交がありながら殺されなかった者も、事件後に心無い噂に苦しめられ、村八分に近い扱いを受けたという。


関連タグ

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