概要
2000年11月に自民党の加藤紘一率いる加藤派が山崎拓や野党と手を組み、森喜朗内閣に内閣不信任案を提出し倒閣及び政権交代を企てた騒動。
何故このような行動に出たのか
当時森内閣は歴代最低支持率を記録し、いつどこで総理大臣が変わってもおかしくないくらい国民からの信頼もどん底の状態にあり、加藤も当然大いなる不満を持っていた。
加藤は当時2ちゃんねる中毒者で知られ、掲示板に森の批判や不満などを書いたところ2ちゃんねらーから大絶賛され、気をよくしたことでこのような行動に出た。
あれ?2ちゃんって自民党支持の右翼じゃないの?と思われるかもしれないが、この頃の2ちゃんは反権力主義でむしろ左寄りだったのである。
さらにはネットで知識を得た加藤は、当時の幹事長だった野中広務に対しこんなことまで言っている。
「野中さんと私は感性が違う」
「野中さんは、戦いをする時はもっと冷静になったほうがいい。私は野中さんより修羅場をくぐっている」
「今の世の中がわからないのか。私のホームページに入ってくる書き込みはすごいぞ。毎日、万を超える書き込みが入ってくる。あなたはそうした国民世論がわからないのですか」
…俗にいう典型的なネットde真実である。
しかし、そのあまりに倫理性に欠けた行動は半泣きの谷垣禎一に引きとめられ、さらには野中の切り崩しを受け失敗に終わる。なお、野中本人は「加藤さんは僕の言うことをまったく聞かなかった。僕はIT社会は怖いと思ったし、つぶれていく加藤さんを見るのが忍びなかった」と暴走を止める意味で切り崩しを行ったと自著で述べている。
明確な裏切り・反逆だと分かるこの行動は次期総理最有力候補とも言われた加藤が事実上総理になれる可能性を永久剥奪される結果も招いてしまった。実際加藤はその後も一度も汚名返上できる機会もないまま2016年に亡くなっている。
そしてこの後総理大臣になったのはYKKで唯一この乱に関わっていない、いわゆる漁夫の利を得る形となった小泉純一郎である。
ちなみに加藤の乱が成功していればなっていたはずの「2ちゃんねらーが代表の野党に政権交代」は9年後の民主党の鳩山由紀夫内閣で実現することとなるが…結果はお察しください。
やはり失敗して良かったような…そうでなくてもわずか半年前に西鉄バスジャック事件を起こしたばかりの掲示板の意見を鵜呑みにしているのは相当問題であろう。
その他の用法
いわゆる加藤という苗字の人物の反乱行為も加藤の乱と呼ばれることがある。
有名なのが2008年に加藤智大が起こした秋葉原通り魔事件、2019年に吉本の騒動を受け事務所に突撃した加藤浩次の反乱など。
メイン画像もその用法に近いものである。