ようするに、イデオロギーであった。
by司馬遼太郎
概要
南宗(1127年~1279年)の時代にじ儒学者の朱熹によって提唱(正確にはあくまで再構築)された儒教の教派の一つである。
朱熹はそれまでばらばらに学説や書物が出され矛盾を含んでいた儒教を、程伊川による性即理説(性(人間の持って生まれた本性)がすなわち理であるとする)、仏教思想の論理体系性、道教の無極及び禅宗の座禅への批判とそれと異なる静座(静坐)という行法を持ち込み、道徳を含んだ壮大な思想にまとめた。そこでは自己と社会、自己と宇宙は、“理”という普遍的原理を通して結ばれ、理への回復を通して社会秩序は保たれるとした。
(Wikipediaより抜粋)
…ようするに、教祖とその弟子達が死んで随分と時間が経って社会が大きく変化した後に、大分ぐだぐだでガバガバになってきた儒教という『宗教』を他の宗教等と見比べながら纏めなおしたとされるもの。
儒教の精神・本質を明らかにして体系化したという部分で大きく評価されているが、
その「信徒」達がオリジナルより更にクローズアップされた重農主義と商業蔑視、エリート優先の官僚主義や異民族蔑視を‘忠実に’実行してしまった為に社会を停滞させたとも考えられていて、賛否両論の議論がされている。
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