概要
『北越奇談集』や『信濃奇勝録』、そして『伽婢子』などにその記述がみられる妖怪の一種。
ちなみに原典では“守宮”と書いていもりと読ませているが、実際には両生類の“イモリ”ではなく、(ややこしいが)爬虫類の“ヤモリ”の姿をした妖怪である。
『北越奇談集』の一節にある話に登場する井守の正体は戦乱で戦死した武士たちの亡霊の化身で、井戸の周囲に棲み付いており、小人の姿で人前に姿を現して様々な怪異をもたらすとされ、次のような伝承が伝わっているという。
越前国湯尾(現在の福井県南条郡南越前町)という所で、塵外(じんがい)という名前の僧が湯尾の城跡の庵で真夜中に書見していた所、不意に人の囁き声の様な声が聞こえて来た。
塵外が辺りを見渡してみると身長が4~5寸(約12~15cm)の小人がいつの間にか現れて自分に何やら話しかけて来た。
塵外は僧だけはあり、そのような事が起きても動じることなく、気のせいだろうと小人を無視してそのまま書見を続けていると、無視された小人は「(塵外が)1人で庵に留まっているのは不憫だろうから、高貴な身分である自分がせっかく慰めに来てやったのに無視するとは何事だ」と彼の無礼を責め、その声に応じて何人もの小人たちがやって来て襲い掛かって来た為、流石の塵外もこれにたまらずにその場から逃げ出した。
翌日、昨日の出来事を村人に尋ねてみると、この辺りはかつて戦乱で城が落城した際に多くの武士たちが戦死し、その浮かばれない彼らの魂が井守の姿となって城の古井戸に住み付いているということを教えてくれた。
塵外は早速、昨夜自分が襲われた庵へと戻ってみると、確かに庵の傍に井戸があり、話の通りに無数の井守たちがそこにひしめいており、その中心には周りの井守たちよりも一回り大きな守宮がランランとした目付きでこちらを睨みつけていた。
塵外はきっとこの守宮が昨夜、襲ってきた小人の正体であろうと思い、経文を唱えて弔うと、たちまち井守たちは苦しみだし一匹残らず死に絶えって滅び去った。
こうして災いは消え去ったが、塵外は井守たちを哀れに思い、その亡骸を村人たちと共に丁重に葬ったということである。
また、次の様な伝承も残されている。
佐渡国(現在の新潟県)の見付島に儀左衛門という名の長者が堀の張り巡らせた荒れ地を手に入れ、そこに妾と娘を共に移り住むことにした。
ところがそこに住むようになってから今まで病気1つしたことのない娘が突然病気になり寝込んでしまった。
原因を突き止めるべく南光院というお寺で占ってもらった所、屋敷に怪しいものが住み付いており、これの祟りであることが分かった。
そこで娘を本家へと戻した所、娘の病気は介抱へと向かったものの、今度は妾が背丈が1丈(約3m)もある黒い大坊主の怪物に襲われるようになり、真夜中に臭い息を吹きかけて妾を前後不覚へと誘う様になってしまった。
その話を聞いた隅田五郎という名の郷士はこの怪物を退治しようと屋敷で待ち構えていたところ、真夜中に6人もの黒い大坊主が現れ、彼の顔を盛るなり襲い掛かってきたが、万が一に備えて待機していた儀左衛門の家来が鉄砲を撃つと、その音に驚いた大坊主たちは逃げ去って行った。
翌日、大坊主たちが泥臭かったことを思いたした五郎は、屋敷の周りの堀が怪しいと思い、若者数人を連れて堀をさらってみたとろこ、堀の中を何かが蠢いているのを見つけ、銛で突き刺すと、長さが6尺(約1・8m)もある大井守が6匹仕留められた。
実は昨晩の黒坊主の正体はこの井守たちが化けたものであり、以降、屋敷で起きていた怪異はピタリと収まったという。
そのほか、浦原群旭村より五泉(現在の五泉市)の三五朗池に体長1.2mの井守が棲んでいたという話や千曲川に棲んでいる体長1.5mの井守の襲われた人物の話が伝わっているらしい。
関連タグ
大やもり→おそらくこの妖怪がモチーフとなっている。