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伏見博英の編集履歴

2019-11-19 07:57:33 バージョン

伏見博英

ふしみひろひで

伏見博英とは日本の皇族、華族、海軍軍人。

概要

伏見宮博恭王の第四王子、母は徳川経子。皇族時代は博英王


プロフィール

身位王→臣籍降下
敬称殿下→臣籍降下
出生1912年10月4日
死去1943年8月21日
配偶者柳沢豊子(前妻)、黒田定子(後妻)
子女伏見博孝(養子)
父親伏見宮博恭王
母親徳川経子徳川慶喜の九女)

経歴

大正元年(1912年)博恭王と経子妃の第四王子として誕生しその後海軍兵学校に入り、海軍軍人となる。昭和11年(1936年)に臣籍降下をし、昭和天皇から伏見の姓を賜られ伯爵に叙爵。第3連合通信隊司令部に所属していたが、昭和18年(1943年)にセレベス島の南部ボネ湾で乗機が撃墜されて戦死した。死後海軍少佐に昇進した。


家族

父:伏見宮博恭王

母:徳川経子徳川慶喜の九女)

妻:柳沢豊子(伯爵柳沢保承の三女)

女子:伏見元子(堂本泰三夫人)

女子:伏見和子(法名は誓寬で得浄明院の住職)

女子:伏見順子

妻:黒田定子(男爵黒田長和の長女)

女子:伏見佳子(伏見和夫夫人)

養子:伏見博孝(兄博信の次男)


外部リンク

伏見博英 - Wikipedia


関連タグ

旧皇族 伏見宮 伯爵 海軍

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