概要
遊女などの身の代金や負債を支払い、年季があけるまえに、稼業をやめさせること。身請けしたのち、自分の妻や妾にすることもある。落籍ともいう。
しかし遊女を身請けしようという客は多くはなかった。
花は折りたし梢は高しという諺のごとく身請け金は総じて高額で、特に太夫クラスの上級遊女になれば膨大な額となる。
そうでなくとも、もともとの身代金に加え、これから働いて稼ぐであろう金額、これまでの借金、見世や周囲の人間に出す祝い金など、合計すると数百両にもなった。
大名や大商人でもなければこのような大金を出すのは不可能だったのである。
あまりにも身請けの金額が高いので寛政の改革(1787~1793年)の際に、上限が500両と定められたが、それでも守られず「千両花魁」が後を絶たなかったという。
中級あたりの遊女でも、やはり100両前後はかかったという。遊女の格が下がれば身請け金も下がり、中にはコツコツお金を貯めて、身請けした町人もいたようである。
余談
金額換算を面倒にしているのが、年代やものによって大きく変動するということ。
一般には米価が当てられ、目安は江戸時代前半期が10万円、後半期は5万円前後、幕末なら平均して大体7000円程度となる(4000円~1万円とかなり開きがある)。
間をとってか「一両=4万」と見なされる事も多いが、どのみち数千万円は下らない。
しかし当時の大工の給料(35万円程。米価の5~6倍)を基準にした場合、100両程度でも3500万円相当、500両で2億近く、1000両ともなれば3~4億近くとべらぼうに跳ね上がる。
どちらにせよ、高嶺の花ならぬ「高値の華」だったことは間違いない。