「お前さん達は、大樹の苗を見て『小さい』と言っておるのかもしれないのだぞ?」
CV:富田耕生(OVA版)
石原凡(Die Neue These版)
概要
自由惑星同盟軍の宿将。二等兵から提督にまで出世した名将で、帝国軍を相手に50年以上も戦い続けた歴戦の勇者である。
座乗艦は自らが司令官を務める第5艦隊旗艦『リオ・グランデ』
性格は厳格で誇り高いが、他者に対しては好々爺として接することが多い。若年者に対しても、きちんと接する器量の持ち主で、ヤン・ウェンリーにとっても数少ない理解者であり、同盟軍(さらには帝国軍からも)の将兵からも尊敬されていた。妻がいるが、2人の息子は戦死してしまっている。
現場からの叩き上げであり士官学校を出ていないためか軍上層部からはウケが悪く、長年辺境部で冷や飯を食わされていた(外伝『螺旋迷宮』にて、ド辺境星区の警備司令官を務めていた事にヤン・ウェンリーが驚愕していた)。ことヨブ・トリューニヒト派が多くを占める軍上層部では司令官でありながら露骨に疎んじられていた(上層部の中でも理解者はヤン・ウェンリーやシドニー・シトレといった少数しかいなかった)。
それでも、准将から中将まで昇進し主力艦隊である、第5艦隊司令官を勤め上げる。後に宇宙艦隊司令長官に栄達したのは、皮肉にも同盟軍がアムリッツァ星域会戦で歴史的大敗北を喫してしまい、有能な人材をラインハルト・フォン・ローエングラムによって消滅させられてしまったからであった。
とは言っても腐敗しきった自由惑星同盟においてビュコックの活躍出来る土壌は枯渇しきっており、いかに彼が尽力しても同盟軍が根本的に改善されることはなかった。(ランテマリオ会戦前においては、国家の危機と言う事もあってアイランズ国防委員長が率先して協力を申し出てきたが)その後も帝国軍を相手取って戦い続けたが、ラインハルトによって改革・強化された帝国との根本的な実力差は埋めようが無く、同盟軍の敗北を食い止めることは出来なかった。
バーミリオン会戦後に締結された「バーラトの和約」によって同盟が帝国に膝を屈してから引退したが、彼の安寧は長くは続かなかった。政治的に迷走する同盟にしびれをきらしたラインハルトによる、再討伐「第二次ラグナロック作戦」が発動されると現役復帰を決意。自由惑星同盟最後の抵抗である「マル・アデッタ星域会戦」を指揮した。
圧倒的な戦力差と質による不利な状況をモノともせず、老獪な戦術で帝国軍を翻弄し、終盤を持ってはラインハルト直営艦隊目前まで突き進んでいった。しかし、帝国軍将帥たちの迅速な対応の前に、あと一歩及ばずして敗北。最期は皇帝ラインハルトから降伏勧告を受けるも、自由民主主義の矜恃をもってこれを辞退し、銀河の星となった。
賞賛した人々
同盟軍は無論、帝国軍の中にもビュコックを賞賛した人間がいる。
ウォルフガング・ミッターマイヤー
第一次ランテマリオ会戦前に、「呼吸する軍事博物館」や「手強い」と言わしめた他、マル・アデッタ会戦の終盤でも「あの老人を死なせたくないものだな、バイエルライン。敬愛に値する爺さんだ」と、その奮闘を称えている。
ナイトハルト・ミュラー
マル・アデッタ会戦に突入する前の会議で「老いてなお、気骨あるべき者は称すべきかな」とビュコックを称した。
ラインハルト・フォン・ローエングラム
その潔い生き様に対して、ラインハルトは深い感銘を抱せた。後に同盟を完全に滅ぼした際に、元首を殺害して自己の保身を図ろうとしたロックウェル大将らを処断した際には、「あの者達が汚水であるとすれば、マル・アデッタで散ったあの老人は、まるで山の清水であった」と言わしめた。
シドニー・シトレ
かつて自身が新任士官だった頃、ビュコックに教えを受けていた時期があり、自身の階級が上となっても敬意を払っていた。
そのせいか、「『老練』という言葉をビュコック提督以外に使うな」と言った事すらあると言われている。
オリビエ・ポプラン
「同盟軍には勿体ないくらいの爺さんだ」
最期のセリフ
「カイザーラインハルト陛下、わしはあなたの才能と器量を高く評価しているつもりだ。孫を持つなら、あなたのような人物を持ちたいものだ。だが、あなたの臣下にはなれん。ヤン・ウェンリーもあなたの友人にはなれるが、やはり臣下にはなれん。他人事だが保証してもよいくらいさ。何故なら、偉そうに言わせて貰えば、民主主義とは対等の友人を作る思想であって、主従を作る思想ではないからだ! わしはよい友人が欲しいし、誰かにとってよい友人でありたいと思う。だが、よい主君もよい臣下も持ちたいとは思わない。だからこそ、あなたとわしは同じ旗を仰ぐことは出来なかったのだ。ご厚意には感謝するが、今更あなたにこの老体は必要あるまい」
能力
二等兵から昇進を繰り返して提督になっただけあって、自由惑星同盟軍きっての実力を持った指揮官である。現場に長くいすぎたせいか、戦略家というよりは戦術家であり、長年の経験に裏付けされた重厚な戦術を得意としていた。
70代の老人でありながら引退もせず現役で戦い続けたのも、その能力を請われてのことであった。特に得意とする所は、粘り強い戦い(防御戦)に徹することである。この事はランテマリオ会戦で良く現れており、兵力差と兵の質からして劣勢でありながらも、宙域の特性を利用した防御陣地を構築したり、果ては帝国軍の前衛艦の機関部を艦載機で破壊して漂流させ、盾にすると言う方法を用いるなど(チュン・ウー・チェンの発案でもあるが)。
マル・アデッタ会戦でも、障害物の多い星域にて自由自在に艦隊を動かし、序盤戦は回廊内にてアルフレット・グリルパルツァーとブルーノ・フォン・クナップシュタインの両艦隊を見事に翻弄せしめた。このように宙域の特徴とをしっかり把握した、戦術も彼の特徴と言える。