概要
1980年代にアイドル歌手として活躍した。また、90年代は女優としても活躍していた。
16歳の時、オーディション番組『スター誕生!』に出場し、合格。複数の事務所やレコード会社からスカウトを受ける。
『スタ誕』には何度も挑戦しており、いわゆる「常連」であった。3回目の出場においてはスタッフの中に難色を示す者もいたが、プロデューサーの熱意により出場が決まったという。
研音(⇒研音グループ)と契約し1982年に「スローモーション」で歌手デビュー。当時のキャッチコピーは「ちょっとエッチな美新人娘(ミルキーっこ)」で、本人は「中森さんはエッチなんですか」などの質問を何度も受けたことから、あまりよく思っていなかったということを後年コメントしている。
セカンドシングル「少女A」でブレイク。また、この楽曲で『夜のヒットスタジオ』に初出演し、その後も歌番組やライブのパフォーマンスにおける「セルフプロデュース路線」を固めていった。
いわゆる「花の82年組」で、80年代アイドル、ひいては80年代の邦楽市場ではトップクラスのレコードセールス記録を誇り、文字通りトップアイドルであった松田聖子と人気を2分した。また、本人もデビュー前から松田聖子のファンで、芸能界においてもよき先輩として慕っていたようである。
80年代はヒット曲を連発し、男女問わず絶大な人気を誇るも、1989年に当時交際していた近藤真彦とのトラブルで自殺未遂事件を起こしてしまい、活動を休止する。
復帰後は歌手活動のほか、女優としてドラマなどに出演。演技も一定の評価を受け注目されたが、事務所やレコード会社との不和など波乱万丈が続いた。
2000年代はカバーアルバムなどをいくつかリリースしたほか、自身をモチーフとしたパチンコ台が導入され話題となった。
2010年に体調不良により無期限活動休止を発表。2014年の紅白歌合戦にサプライズゲストとして出演し、歌手活動を再開した。
近年は体調のこともあり活動ペースがかなり緩やかになってはいるものの、たまにディナーショーなどでファンの前に姿を見せており、継続的に歌手活動を行なっている。
妹の中森明穂(現在は故人)も短期間ながら芸能活動をしていた時期がある。
関連タグ
芳村真理…『夜のヒットパレード』で共演して以降長らく交流が続いている。
小泉今日子…同期。アイドル時代はそれほど知られていなかったが仲が良く、堀ちえみの舌癌公表にあたり、「中森の連絡先を同期の中で唯一知っているのが小泉で、小泉からコンタクトを取った」と報道されている。
山口百恵…『夢先案内人』でオーディション合格を果たしている。また、アイドル時代から(山口百恵と同じレコード会社だった)松田聖子とは違った意味で「ポスト百恵」的なプロモーションがされており、彼女の楽曲を多数カバーしている。
鮎川まどか…容姿のモデルが中森であるとされた。
村下孝蔵…「アキナ」という楽曲を発表している。村下は中森への応援歌として制作した。