概要
1980年9月27日生まれのモンゴル国出身の元大相撲力士で第68代横綱。
「平成の大横綱」とも形容される。四股名の由来は、高校在学時に世話になったという高知県土佐市の青龍寺で、また、「明徳」という名前は出身校である明徳義塾高等学校にちなんで名づけられた。
愛称は本名からとった「ドルジ」やファンタのCMでのキャラクター「ファン太郎」など。また、スポーツ新聞の見出しなどでは「朝青」という略語も見られる。
左利きであり、塩を左手で撒く数少ない力士の一人である(左手で塩を撒いても作法上問題はない。また、ちゃんこを食す際、箸も左手で持っている)。
荒っぽい取り口や不祥事等、荒くれ者のように扱われることが多いが、新婚であった元高砂部屋の力士の家に懸賞金を置いて行ったり、引退後はツイッターで綱の勤めを果たした白鵬を労い、初優勝を成し遂げた豪栄道や稀勢の里を祝う等、土俵の外では気のいい一面を持っている。特に稀勢の里には当時三段目優勝決定戦で敗れて悔し涙を流す彼に「その気持ちがあれば、お前はもっと強くなる」とエールを送っていた(参考リンク)。
また、そのスピード感溢れる豪快な相撲とむき出しの闘争心に惹かれた人も多く、大関時代に金沢巡業で当時小学5年生だった現・幕内力士の遠藤と対面し、遠藤が相撲を好きになるきっかけを作った。今は朝青龍の方も遠藤を応援しており、遠藤の激励会にかけつけたりしている(参考リンク)。
要は世間一般が求めるジェントルマン、心優しきヒーロー的な横綱像にはなり得なかったが、粗暴ではあるものの野卑ではない、素直で憎めないガキ大将的な花形力士であった。
兄はレスリング選手、総合格闘家のドルゴルスレン・スミヤバザル、プロレスラーのブルー・ウルフ。
引退騒動
2010年1月、場所中の1月16日未明に泥酔して暴れる騒動を起こしたと写真週刊誌に報じられ、場所後に日本相撲協会の武蔵川理事長から厳重注意を受けた。さらに、別の週刊誌の報道で、被害者が当初、名乗り出た一個人マネージャーではなく一般人男性だったことが発覚。2月1日には、同協会の(理事選挙後の)新理事会で、調査委員会の設置が決まった。
2010年2月4日、日本相撲協会の理事会で事情聴取を受けた後、突然、暴行問題の責任を取る形で現役を引退することを表明した。
この引退表明は大きく報じられた。一部の新聞では号外が発行され、繁華街や都市部で配布されたほか、テレビ各局の同日夕方以降のニュース番組で緊急特集が組まれた。
同じくモンゴル出身の横綱白鵬は同日中に記者会見を開き、「信じられない。まだやり残したことがあったと思う」と語るなど、先輩横綱の突然の引退による衝撃をうかがわせた。また、同部屋で実家が近所である朝赤龍も「寂しいって言うより胸の中から何か取られたよう」とショックを隠せず、号泣した。
引退騒動直後は格闘家転身も噂されたが、現在はモンゴルで実業家、タレント等幅広い分野で活動している。大相撲開催中は上記で取り上げたようにツイッターに意見を投稿することもある。
なお、引退後の角界は事実上白鵬一強時代になってしまい、通算優勝回数など白鵬が大相撲の記録の多くを更新することになったが、もし朝青龍が引退していなければ・・・という声も多いが、反論として、すでに朝青龍は全盛期を過ぎていて、引退してなくても遅かれ早かれ白鵬は最多優勝回数を更新できただろう、という声もある。現に本割での対白鵬戦は7連敗で終わっている。
現在
モンゴルに帰郷した後は一族のビジネスに加わり、モンゴルでも有数の大実業家として忙しい日々を送っている。
Twitterも行っており、その破壊力抜群かつキレッキレのツイートとレスバで「レスバでも横綱級」と言われている。