プロフィール
人物
オードリー・ヘプバーン(英:Audrey Hepburn)は、アメリカで活躍したベルギー出身の映画女優。因みに国籍はイギリス(父親がイギリス人であるため)。母親のエラはオランダ貴族(男爵)の出身。
バレエで培われた優雅な仕草と軽やかな身のこなし、華奢な肢体と可憐な容姿で『銀幕の妖精』と呼ばれ、世界的に人気のある清純派スターだった。
日本では、『オードリー・ヘップバーン』と表記されることも多い。
戦火の中で子供時代を過ごし、持ち前の反骨心から自らレジスタンス活動に飛び込んだという、意外な素顔を持つ。
十代半ばまではバレリーナとして修業を積み、将来を嘱望されていた。しかし、背が伸びすぎた(身長170cm)ためにバレエの道を断念する。
生活を支えるために女優へ転身したヘプバーンは、1951年、撮影でリヴィエラを訪れた際、作家シドニー=ガブリエル・コレットの目に留まり、ブロードウェイ戯曲『ジジ』の主役に抜擢される。舞台は大成功となり、ヘプバーンは一躍注目を浴びる存在となった。
そして1953年『ローマの休日』で映画初主演。
その魅力と才能は観客を虜にし、各紙・評論家から絶賛された。
長身でスリムなヘプバーンは、それまでのグラマラスでセクシーなハリウッド女優とは全く異なるスターだった。その彼女をより魅力的に演出したのがジバンシィのドレスである。
ヘプバーンがスターとしての道を歩み始めたころ、ジバンシィもまた独立したメゾンを構え、一流クチュリエを目指し始めたばかりだった。ヘプバーンとジバンシィは映画『麗しのサブリナ』をきっかけとして出会い、才能を認め合い、必要としあう間柄であり、互いを深く尊敬しあっていた。二人はヘプバーンが逝去するその日まで親友であり続けた。
余談
- 可憐な美貌で世界から愛されたヘプバーンだが、その顔立ちは「ファニーフェイス(愛嬌のある顔)」と称されたように正統派の美人というわけではない。本人も自分の容姿にコンプレックスを持っていた。特に”えら”が張っていることを気にしており、正面から撮影されることを嫌がった。実際にスチールなどでは必ず顔に角度をつけてポーズをとる、顎に手を添えるなど涙ぐましい工夫をしている。
- ヘプバーンは甘いお菓子が大好物であり、特にチョコレートには目がなかった。『ジジ』出演のためにアメリカへ渡った際、ヘプバーンは誰もいない船の上で、毎日好きなだけ食べられる日々を過ごした。その結果、アメリカについたときにはお菓子の食べ過ぎで体重が増えてしまい、ダイエットに励むことになった。
- コレットが「私のジジを見つけたわ!」と叫んだことは有名だが、『ローマの休日』監督のワイラーも、ヘプバーンの舞台を見て「僕のアン王女を見つけた!」と叫んだと言われる。ただし後者の方は作り話の可能性も高い。
代表作
・ローマの休日(原題:Roman Holiday)1953年 / アメリカ
・麗しのサブリナ(原題:Sabrina)1954年 / アメリカ
・ティファニーで朝食を(原題:Breakfast at Tiffany’s)1961年 / アメリカ
・マイ・フェア・レディ(原題:My Fair Lady)1964年 / アメリカ
アン王女(アーニャ・スミス) | サブリナ・フェアチャイルド |
ホリー・ゴライトリー | イライザ・ドゥーリトル |
吹き替え担当者
最初は散発的な吹き替えであったが、1970年代以降はほとんどの局でヘプバーンの吹き替えを池田が担当するようになり、「ヘプバーンの声は池田昌子」と呼ばれるほどのイメージが定着していった。
ヘプバーンの生誕80周年を記念してDVD-BOXの発売に伴い新たな吹き替え収録が行われ、すでに70を超えていた池田は断ろうとしたが熱心なオファーを受けて再びヘプバーンを演じることとなり、テレビ放映時と変わらぬ若々しい声を披露する。
NHK版の緑の館にて吹き替えを担当。
- その他
阪口美奈子、二宮さよ子などが吹き替えた。
オードリー・ヘップバーンが名称の元になっているもの
- オードリー⇒日本のお笑いコンビの名前。
- オードリー・バーン⇒機動戦士ガンダムUCのメインヒロイン。主人公に名前を聞かれた時に見掛けた『ローマの休日』の看板から咄嗟に名乗った。
関連タグ
…オードリーと同年に生まれ、映画『アンネの日記』への出演をオファーされたが、辛い過去が思い出されるという理由から、オファーを断った。