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鷹司繋子の編集履歴

2020-11-18 15:08:14 バージョン

鷹司繋子

たかつかさつなこ

鷹司繋子とは江戸時代後期の仁孝天皇の女御。

概要

父は関白左大臣鷹司政煕、母は名家豊岡家仁孝天皇の女御。

女院号は新皇嘉門院(しんこうかもんいん)


経歴

寛政10年(1798年)2月1日に誕生。文化10年(1813年)に恵仁親王の御息所となる。文化14年(1817年)に恵仁親王が即位すると繋子は女御となる。

文政3年(1820年)の5月16日安仁親王を産むが翌年に早世した。文政6年(1823年)に皇女を産むが死産となり同年に繋子も薨去した。死後に院号を贈られ翌年に皇后の位を贈られた。


家族

父親の政煕は閑院宮直仁親王の王子で鷹司家の養子となった鷹司輔平の子である。繋子は輔平の孫娘で夫の仁孝天皇とは再従兄弟に当たる。異母兄に鷹司政通、同母妹に同じく仁孝天皇女御鷹司祺子がいる。


系図

東山天皇閑院宮直仁親王鷹司輔平鷹司政煕鷹司繋子

系譜

父:鷹司政煕

母:豊岡斐子

異母兄:鷹司政通

同母妹:鷹司祺子

夫:仁孝天皇

皇子:安仁親王

皇女:慈悲心院宮


関連項目

朝廷 女御 仁孝天皇 鷹司家 皇后

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