大久保彦左衛門
おおくぼひこざえもん
戦国時代~江戸時代前期の武将。徳川家臣。江戸幕府旗本。「天下のご意見番」とあだ名された。
概要
長篠の戦いまたは遠江・犬居城攻略戦で兄たちに従い初陣を飾る。高天神城の戦いで勇将・岡部元信を討ち名を馳せる。その後も大久保党の一員として武勇を見せ、真田昌幸との第一次上田城攻防戦では味方が崩れ立つ中、勇戦しさらに武名を上げている。武勇のみならず石川数正出奔事件の際には、忠世の代理として小諸城に入るなど信濃統治にも関与した。
豊臣時代、関東国替えで小田原城主になった長兄・忠世、甥・忠隣から相模国で3000石を与えられた。関ヶ原の役では別動隊に組み込まれ再び昌幸と相見えている。しかし、1614年に大久保長安事件で当主忠隣に連座し改易を食らう。のち家康に再び召し出され三河に領地を与えられ旗本となる。大坂の陣では旗奉行として家康本陣に近侍し戦った。
元和偃武後、60歳を過ぎてから『三河物語』を執筆する。最後は大甥・大久保忠職(忠隣の子)が大名に復帰するのを見届けたかのように没した。享年80歳。