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津軽丸の編集履歴

2021-03-20 18:40:36 バージョン

津軽丸

つがるまる

津軽丸は国鉄連絡船青函航路で使用されていた車載客船。

津軽丸は、国鉄青函航路で旅客と鉄道車両を輸送するために設計された鉄道連絡船。

国鉄連絡船において『津軽丸』を名乗った船は、翔鳳丸型連絡船『津軽丸(初代)』と津軽丸型連絡船『津軽丸(2代目)』が存在したがPixivでは初代を描いた作品が無いため、このページの内容も2代目のものである。

概要

国鉄初の自動化船である津軽丸型のネームシップである。

1954年に死者行方不明者1955人を出した青函連絡船 洞爺丸沈没事故や、就航から度々事故を繰り返し1955年に遂に168人の死者を出して沈没した宇高連絡船 紫雲丸の衝突事故を受けて、国鉄が安全性と設備の近代化に心血を注いで完成させた、当時としては最先端の設備を誇る鉄道連絡船である。

国鉄のみならず、他の民間船舶でも例を見ない非常に先進的な設備を多数搭載し、後の船舶に大きな影響を与えた船であった。


建造は、神奈川県横須賀市の浦賀造船所。

1964年 竣工・就役。

就役後は、他の同型船6隻と共に青函航路で旅客と鉄道車両の両方を輸送する任に就いたが、1988年の青函トンネル開通を待たずして、1982年3月に姉妹船の中で最も早く引退した。

船体は下部が鈍い青色(新造時)/灰青色(1967~)に上部が白のツートン。下部の青系の塗色は何度か色調が変わっている。

終航後

1982年12月24日、東京の大久保商店(大久保尚志)に83,585,000円で売却されたが、函館ドックで係留継続。

1983年3月25日に北朝鮮に転売され、日本人回航員の手によって自航で元山へ向け函館を出港。回航に先立ち函館ドックで白と紺色に化粧直しされた。北朝鮮では、「HAE YON」などに改称し、主に元山港を母港に貨物船として運航されていたという。

なお、この北朝鮮への転売の際には、兵員輸送など軍事転用への懸念から、国会で転売を問題視する声が挙がっている。回航の際、CASなどは基板が何枚か抜かれ、使用できないようにされていた。

その後1987年3月にサウジアラビアの船舶会社に売却され、「AL JAWAHER」に船名を改称。スエズ(エジプト) - ジェッダ(サウジアラビア) - ポートスーダン(スーダン)の定期航路のカーフェリーとして運航されていた。この間、ジェッダ港で社外船に転職していた元青函連絡船乗組員に目撃され、報道されるなどした。イスラム教の巡礼期はメッカ巡礼船としてトリポリ(リビア) - ジェッダ(サウジアラビア)で運航されたという。しかし1996年にエジプト政府に納付金滞納により差し押さえられる。

さらに追い討ちをかけるかのように1998年5月21日には、係留中に火災が発生。

1998年12月14日 - スエズで解体された。

姉妹船

津軽丸型車載客船はネームシップの津軽丸を筆頭に八甲田丸、松前丸、大雪丸、摩周丸、羊蹄丸、十和田丸の合計7隻が存在した。

同型船は、青森駅傍に係留されている八甲田丸と函館港に残る摩周丸の2隻を除いて、国内には現存しない。

2011年までは東京台場に羊蹄丸が保存展示されていたが、解体された。

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