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羊蹄丸

ようていまる

国鉄連絡船の青函航路で用いられていた車載客船。青函航路が廃止されてから、お台場の「船の科学館」に展示されていたが、解体されたため現存しない。
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羊蹄丸は、国鉄青函航路で旅客と鉄道車両を輸送するために設計された鉄道連絡船。

名前は北海道羊蹄山から。

国鉄連絡船において『羊蹄丸』の名前は合計2回使われたが、Pixivでは初代を描いた作品が無いため、このページの内容も2代目のものである。

概要編集

国鉄初の自動化船である津軽丸型の第6船で、八甲田丸や摩周丸と同型である。

建造は、大阪にあった日立造船桜島造船所。

1965年に竣工・就役して以来、1988年3月に青函トンネルの開通とともに青函航路が臨時便となってからも走り続け、同年9月に臨時便の廃止と青函航路の終焉を見届けた船であった。


青函航路廃止直前の1987年に国鉄が分割民営化されたが、青函航路と連絡船はJR北海道が継承し、煙突にはJNRマークに代わって黄緑色のJRマークが掲げられ、母港は東京港から函館港に移された。

塗装編集

塗装は進水当初は白色と淡い緑色だったが、先に登場していた5隻も似た色調だったため進水後に国鉄の特急電車に似たクリーム色と臙脂色に変更された。

元々津軽丸型の塗装は受注した企業に一任されたものの、浦賀船渠が受注した第一船の津軽丸は白に青灰色、三菱重工が受注した八甲田丸・大雪丸・摩周丸が乳白色と薄緑、函館ドックが受注した松前丸も似たような色といった具合に羊蹄丸より前に建造された船はどれも白と青系統のツートンと似た色で建造されており、羊蹄丸もこれに倣ったのである。

これは、初代十和田丸で好評だった塗色を踏襲したものだったが、運航現場から「紛らわしい」という意見が上がったため、就役後に八甲田丸は船体下部を黄色、大雪丸は濃い緑、摩周丸は藍色、羊蹄丸は先に述べたとおりクリーム色と臙脂に塗り替えられた(白系統の船体上部や煙突の塗り分けも各船で違った色合いになった)。


フローリングパビリオン羊蹄丸編集

青函航路が廃止されてからは、改装を受けて、1992年5月15日–8月15日にイタリアジェノヴァ国際博覧会の日本館パビリオンとなる。その後東京台場の「船の科学館」に博物館として係留、展示されていた(航路廃止後、塗装が白と青になっていたが、2003年に現役時代の塗装に戻されている)。

船の科学館では、南極観測船宗谷」の隣に係留されていたものの、2011年に船の科学館が休館となると同時に無償で譲渡されることとなった。

譲渡が発表されると複数の申し入れがあったが、結局保存目的の譲渡とはならずに、船舶の解体と再資源化の研究に供されるために解体されることが決まった。

2012年3月に、解体設備がある香川県多度津町へ向けて最後の航海に出る。

香川県に到着してからは、新居浜港で短期間展示された後、船内の資料や備品、調度品などを八甲田丸などに託して解体が行われた。

翌2013年に解体が完了。


姉妹船編集

ネームシップの津軽丸を筆頭に八甲田丸松前丸大雪丸摩周丸と続いて第6船。末っ子の十和田丸から数えると下から2番目。

同型船は、青森駅傍に係留されている八甲田丸と函館港に残る摩周丸の2隻を除いて、国内には現存しない。


余談編集

船の科学館に展示されていた頃の本船は、いわゆる心霊スポットだったらしく、夜間の警備にあたっていた警備員による、エレベータが勝手に元車両甲板などへ降りていたり、3階から黒い影が外へ出て行ったりしたといった証言が、過去にとある鉄道模型店のサイトに掲載されていた。

なお当該サイトでは、これらは過去に起きた洞爺丸事故の怨霊によるものと考察されていた。

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