松前丸は、国鉄青函航路で旅客と鉄道車両を航送するために設計された鉄道連絡船である。
『松前丸』の名前は国鉄連絡船では合計2回使われたが、今のところPixivでは初代を描いた作品が無いため初代については割愛。このページの内容も2代目のものである。
概要
性能の高さから『海の新幹線』と呼ばれた津軽丸型車載客船の第3船。
建造は、函館の造船所「函館どつく」産まれの道産子で1964年に進水・竣工。
船体の塗装は、整備の度にやや色調が変わっているのの船体上部より上が白系統、その下が緑系統の塗色である。
津軽丸型第3船の松前丸は、津軽丸型ネームシップの津軽丸、第2船の八甲田丸がまだ進水する前に起工しており、それぞれの船からのフィールドバックが得られる前に完成した船であった。
また、津軽丸、八甲田丸、松前丸はそれぞれ試作的要素が強く細部が異なっており、特に松前丸の艤装は他の船で使用していない型式の機器が使われていたため、青函トンネル開通までを見据えた延命措置が取られることもなく、1982年11月に船齢18年という当初定められた規定上の耐用年数を満たしたため廃船となった。
初期に製造された 津軽丸、八甲田丸、松前丸のうち最も成績良好と判断されたのは八甲田丸で、延命措置が施された上で青函航路定期便廃止まで使用されたが、津軽丸は松前丸と同じく船齢18年に達した時点で廃船となった。
廃船後、2年ほど函館に係留されていたものの、1984年春に機関の整備を受けて、売却先の朝鮮民主主義人民共和国へ出港。1987年に彼の地でそれらしき船が撮影されたのを最後に足取りが分かっていない。
姉妹船
長女の津軽丸、八甲田丸と続いた第3船で、妹分に大雪丸、摩周丸、羊蹄丸、十和田丸が居たが、国内に現存しているのは青森駅近くの旧車両岸壁で博物館船となっている八甲田丸と、函館で同じように余生を送っている摩周丸のみである。