大雪丸は、国鉄青函航路で旅客と鉄道車両を輸送するために設計された鉄道連絡船。
国鉄連絡船において『大雪丸』を名乗った船は、洞爺丸型貨客船『大雪丸(初代)』と津軽丸型貨客船『大雪丸(2代目)』が存在したがPixivでは初代を描いた作品が無いため、このページの内容も2代目のものである。
概要
国鉄初の自動化船である津軽丸型の4番船である。
1965年 竣工・就役。
就役後は、他の同型船6隻と共に青函航路で旅客と鉄道車両の両方を輸送する任に就いたが、青函トンネル開通を待たずして、1988年1月6日に終航した。
なお、津軽丸型の船体色は、当初、建造する造船所に一任されており、
本船は建造中から公式試運転まで外舷下部がうす緑色、外舷上部が乳白、煙突がうすいピンク色と、既に就航していた第2船の八甲田丸の当時の塗装と同じであったため、竣工直前に煙突のみ暗い緑色に変更して就航した。それでも八甲田丸・松前丸・本船と3隻続けて、外舷下部色が明るい緑の似た色になったため、就航翌年の1966年3月に、外舷下部色も煙突と同じ暗い緑色に、外舷上部はクリーム色に変更し、終航までこの色で通した。
その後
1988年4月4日に、東京ディズニーランド沖で海上ホテルとして使用するため、日本鋼管造船所に改造のため移動。しかし停泊海域の問題で行政の許可が下りない状態となり、そのまま計画は消滅し、1996年まで造船所に放置される。
その後1996年に長崎市へ曳航され、長崎市小曽根町で海上ホテル「ホテルシップヴィクトリア」として開業したものの、2005年に営業終了。2008年に中国に売却されていったが、その後の行方は不明となっている。
姉妹船
津軽丸型車載客船は本船のほか津軽丸、八甲田丸、松前丸、摩周丸、羊蹄丸、十和田丸の合計7隻が存在した。
同型船は、青森駅傍に係留されている八甲田丸と函館港に残る摩周丸の2隻を除いて、国内には現存しない。
2011年までは東京台場に羊蹄丸が保存展示されていたが、解体された。