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津軽丸型

つがるまるがたしゃさいきゃくせん

津軽丸型車載客船は、1960年代に国鉄青函航路で使用する新世代の車載客船として設計・製造された連絡船である。 津軽丸を筆頭に合計7隻が存在した。
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津軽丸型車載客船は、1950年代に国鉄連絡船で発生した重大事故を教訓に設計・製造された、鉄道車両旅客の双方を輸送できる車載客船である。

開発経緯編集

かねてより、青函航路では戦時標準船を基にした設計の船で運行されてたために船体の疲労蓄積の早さや、輸送効率が問題となっていた。

その上、台風によって車載客船『洞爺丸』他4隻が沈没した洞爺丸事故や、濃霧の中航行中に僚船と衝突、沈没した宇高連絡船紫雲丸事故(5回目)をきっかけに新しい車載客船が開発・製造されることとなった。

洞爺丸事故、紫雲丸事故ともに国鉄の中でも特に被害が大きく、「国鉄5大事故」に数えられる。


洞爺丸事故

台風によって乗客乗員1155名が犠牲となった車載客船洞爺丸と、乗員の殆どが犠牲となった4隻の僚船(車両渡船)の沈没事故では、調査の結果から水密性が高い船体の必要性が明らかになった。

これは、鉄道車両を輸送する車両渡船独特の船体構造に起因するもので、特に船体中腹の車両甲板から底部にある機関室の間の水密性が充分ではなかったことが決定打となった。


船舶は、艤装や貨物問わず重量物をなるべく底部に近い部位に配置した方が安定する。

一方で船体には大量の水が入らないよう気密性が求められ、開口部を極力減らし、必要な穴は船体上面に開けるなどの工夫が取られる。

車両渡船の場合は、重い鉄道車両をなるべく低く積むために、船体の喫水線よりやや上の比較的低い場所に車両甲板があり、同じ高さの場所に車両を積み降ろしするために大きな開口部を設ける必要がある。

洞爺丸事故の場合、この部分から車両甲板に大量の水が侵入し、車両甲板から機関室へ水が流れ込んで排水ポンプの動力源が停止。浸水が進んだため主機が停止し操船ができなくなり、座礁転覆ののち沈没に至った。

特に、沈没した船はいずれも石炭焚きの蒸気タービン船で、燃料が固形物であるために、石炭を貯める炭庫には大きな開口部が必要で気密性の確保が難しく、機関室に直通しているために浸水に対して脆弱であることが問題となった。


このため、洞爺丸事故以降建造された檜山丸型や十和田丸(初代)は、機関室の気密性を高めることができるディーゼル機関を採用するとともに、車両甲板から船体側面に開口部を多数設けて迅速に排水される構造としたり(初代檜山丸)、車両積込口に水密扉を設置し浸水を阻止する(初代十和田丸・〃空知丸・津軽丸型等)などより波浪に強く安全な設計となった。


紫雲丸事故(5回目)

宇高航路で使用されていた紫雲丸は就航から9年で5回の事故を起こした不運な船で、特に被害が大きかった5回目の事故は国鉄5大事故の一つに数えられる非常に重大な事故であった。

この5度目の事故では、航路の不備と濃霧によって視界が悪い状態で航行した結果僚船と衝突し、沈没したというもので、浸水に強く冗長性が高い船体構造と適切な航路の整備、視界が悪い状態でも安全に航海ができる航法装置の整備が課題となった。


津軽丸型連絡船の誕生編集

これらの事故の教訓に加えて、経済発展とともに増大する輸送量に対して青函航路そのものが本州北海道間の輸送のボトルネックとなっているという実態も浮き彫りになった。

このため、従来よりも大型、高速で安全な船として設計されたのが津軽丸型である。

主機関編集

津軽丸型では、檜山丸型などと同様に主機がディーゼルエンジンとなったが、大型の低速ディーゼルエンジンではなく、比較的小型の中速ディーゼルエンジンを多数搭載(1600馬力クラスのエンジンを8基)して、上下寸法を抑えつつも従来のおよそ2倍の出力を確保した。

津軽丸型の登場で、これまで4時間30分を要していた青森函館間が3時間50分に短縮され、同じ時期に登場した東海道新幹線に擬えて「海の新幹線」と呼ばれた。

エンジンそのものはさほど大きくないため機関室はエンジンの寸法に対して余裕がある大きさで、通常の運航であれば6基から条件が良ければ4基運転と必ずしも全8基を運転させる必要もなく、休止させたエンジンを運航中に整備することが可能となったため、従来の船のような機関整備のための休航は原則行われなくなった。


機関などはブリッジからの直接的な遠隔操作が可能で、それまでの船と比較すると運行に関わる乗員が大幅に削減された。


また国産船としては初めて、船首に船の横移動を強力に補助するサイドスラスターが装備され、港内での取り回しが非常に良好となった。


運用編集

航路で高速走行できるようになった事や、離接岸での操船能力が上がったことから、従来の船では1隻あたり1日あたり2往復運航から、津軽丸型では2.5往復の運航が可能となった。津軽丸型は7隻製造されたが、津軽丸型の配備で廃船となったのは9隻であった。


1967年からは旅客、鉄道車両のほか自家用車の航送も開始された。

車両甲板の2段上の遊歩甲板(デッキ)の後部にそのまま載せるというもので、青森の第一岸壁には斜路が、函館の第二岸壁にはエレベーターが設置された。

つまり雨ざらしの露天係留で、波が高ければ飛沫をかぶることもあったものの、それでも1988年の定期便終航日まで続けられた。


要目(津軽丸 新造時)編集

総トン数8,278.66トン
全長132.00m
垂線間長123.00m
型幅17.90m
型深さ7.20m
満載喫水5.20m
主機関単動4サイクルトランクピストン 排気ターボ過給機付ディーゼル機関 川崎 MAN V8V 2230mAL 8台
最大出力13,444軸馬力
定格出力1,600制動馬力×8
最大速力21.57ノット
航海速力18.20ノット
旅客定員1,200名
乗組員53名
車両搭載数ワム延長換算48両(1両=8m)

津軽丸型の主機関は、基本的に川崎重工業でライセンス生産されたMAN V8V 2230mAL(V型16気筒)だったが、大雪丸摩周丸羊蹄丸三井造船製のB&W 1226 MTBF-40V(V型12気筒)であった。


同型船編集

津軽丸型の船名は八甲田丸を除き、いずれも2代目である。


その後、津軽丸型の船体を延長し車両輸送に特化させた(旅客輸送設備を持たない)渡島丸型が建造された。

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