青函連絡船で『十和田丸』を名乗った船は2隻存在した。
初代 十和田丸
1955年の洞爺丸事故で沈没した車載客船洞爺丸の代替に建造された船である。
石炭焚きの蒸気タービン船特有の浸水に弱い構造が問題視されたため、より安全性が高いディーゼルエンジン(三菱ズルツァー 2サイクル8気筒 ×2)を採用した。
建造は新三菱重工神戸造船所。
1957年に就航。同型船は無かった。
機関以外に船体構造が徹底的に見直され、安全性が大きく向上した。
一方で、従来の比較的静かで機関の振動が少ない蒸気タービン船と比べると、ディーゼルエンジン特有の振動や低く唸るような音が耳障りに感じた乗客もいたという。
鉄道省・国鉄が運行していた鉄道連絡船には、煙突に「工」マークが描かれていたが、青函航路ではファンネルマークに「工」のマークが描かれた最後の車載客船であった。次代の津軽丸型からは「JNR」マークとなった。
津軽丸型車載客船の登場を受けて、1966年に客室を撤去して鉄道車両のみを航送する車載渡船「石狩丸」となった。
2代目 十和田丸
津軽丸型車載客船の第7船で津軽丸型の末っ子である。
1966年に竣工・就役。1987年に国鉄が民営化されてからは、僚船と共にJR北海道所属となる。
1988年3月に青函トンネルの開通とともに青函航路が臨時便となってからも走り続け、同年9月に臨時便の廃止と青函航路の終焉を見届けた船であった。
青函航路の廃止後は、客船を運行する会社へ売却されてクルーズ船に改装され、「ジャパニーズドリーム」と改称した。
しかしながら、本船を使用したクルーズ船運航事業は順当とは言えず、1990年の就航からわずか2年で終航、1995年にフィリピンに売却され、カジノシップとして使用されたのち、2008年にバングラデシュ・チッタゴンで解体された。