1962年3月21日生まれ。新潟県新潟市出身のアニメーション監督・脚本家・プロデューサー。株式会社ガイナックス元代表取締役社長。
概要
新潟市立宮浦中学校卒業、新潟県立新潟南高等学校卒業、1980年、大阪芸術大学芸術学部映像計画学科(現・映像学科)入学、中退。
王立宇宙軍のオープニング・エンディング・タイトルロールを担当した画家の大西信之には今まで一緒に仕事をした、日本で最も才能のある芸術家の一人に数えられている。
映画監督の庵野秀明とは大学の同じ寮で知り合い、この時に初めてアニメーションに興味を持つ。
1981年、第20回日本SF大会(愛称:DAICON 3)のオープニングムービー制作を期に集まったDAICON FILMのメンバーとして自主制作アニメや映画に携わる。
1984年、ガイナックスを設立。
1987年、映画『王立宇宙軍 オネアミスの翼』で24歳(製作開始時)にして監督デビュー。
脚本・プロデューサーとしてアニメーション映画を始め、数々の作品に関わる。
ガイナックス・タツノコプロ制作時の新世紀エヴァンゲリオンではアニメーションプロデューサーを務める。(TVシリーズ~Air/まごころを、君にまで)
何度も費用等の問題で制作中断の目に遭っている蒼きウルの制作にこだわっている。
2018年、大徳寺真珠庵「襖絵プロジェクト」に参加。寺に半年間寄宿し、「かろうじて生きている」を発表し、話題を呼ぶ。
後述のアオイホノオにてすっかり絵が描けないイメージが定着していたので尚更である。
この襖絵は山賀自身による、蒼きウルの盛大なるイメージボードで、現在現物は未公開であるが、ネット上でも見る事ができ、また同年9月八王子市夢美術館にて「王立宇宙軍 オネアミスの翼展 SFアニメができるまで」でも縮小複製画が展示された。
2019年、ガイナックスの社長に就任して間もない巻智博が逮捕され、その後2020年2月に役員を刷新することになり、山賀も代表取締役社長を解任させられる。
アオイホノオにおける山賀
演:ムロツヨシ
焔燃が通う大作家芸術大学の同級生。
他人の才能を見抜く能力や交渉術に優れ、短編映画製作の課題で
庵野秀明や赤井孝美を自分のグループに引き入れる。
後に「王立宇宙軍 オネアミスの翼」を監督、ガイナックスの社長となる男。映像計画学科の課題をきっかけに、庵野・赤井と組むことになる。根拠の無い自信に溢れていて、全く絵が描けずアニメ・漫画・特撮にも疎いが、早いうちからプロデューサー気質を持った変わり者。