曖昧さ回避
- パルス状の電磁波を発生する天体の総称。現在では中性子星がその正体と考えられている。
- パチスロメーカーの山佐が発売しているパチスロ機種。パルサーシリーズ。
- 日産自動車が生産していた乗用車の車種名。1.にちなんで命名された。本稿で解説。
- MARVELのキャラクター。→モニカ・ランボー
概要
1978年から2006年にかけて及び2012年から2018年にかけて製造・販売が行われたが、日本市場では2000年9月に販売を終了した。
1970年から製造・販売が行われていたチェリーの後継車種として開発された。
ヨーロッパを意識したデザインが特徴であり、実際6代目までと(最終)9代目はヨーロッパ市場に投入している(ただしパルサーの名称が使われなかったことが少なからずあった)。
「日産全店に小型FF車を設定する計画」の一環で、初代の途中から3代目までにはプリンスディーラー向けのラングレー、2代目と3代目には日産店(ブルーバード取扱店)向けのリベルタビラが設定されている。
3代目には派生車種として2ドアクーペのエクサが存在したが、元々は2代目の2ドアクーペの名称であった。
4代目に関してはWRC参戦を意識したGTI-Rなるモデルが存在し、実際ラリー競技でも結構使われたものである。
ただ、全日本ラリー選手権などではそれなりに成果を上げはしたのだが、肝心要のWRCはどうだったのかというと、改造出来る部分が限られるグループAの競技であったが故にタイヤサイズの拡大が出来無くなった結果足回りがエンジンの高出力について行けず、またエンジンルームに余裕がなかったため整備性が悪いばかりか、インタークーラーやラジエーターが十分に冷えてくれないと言った欠点まで浮き彫りになってしまった。その結果・・・・・・お察し下さい。
結局日産の経営状態などもあり、1992年のシーズン途中で、WRCそのものからも撤退した。ちなみにマツダも、やはり経営状態から1992年のシーズン終了を持ってWRCから撤退している。
右の画像は、宿命のライバルであるファミリアGT-R。悲運なスーパー4WDマシンだった2台は、市販モデルではマニアックな走り屋達に人気があり次期型にモデルチェンジされるまで生涯を全うした。
ネタ
2代目にはアルファロメオのボクサーエンジンを積んだ姉妹車・アルファロメオアルナが存在した。ただこの車、1980年代の日本車につきものであったつまらないデザインおよび運転する楽しみ・喜びの感じられない操縦性と、アルファロメオの車のアキレス腱である電装系統のダメっ振りをいっぺんに併せ持った、とんだイカレポンチ車であった。その終わりっぷりはあのお方をして「アルファロメオ唯一の駄作」と腰を抜かしたほど。ゆえにパルサーが3代目に変わる直前に姿を消している。
ただ日産はアルファロメオの車のベースになった事で相当いい気になっており、ミラノX-1なるグレードを設定し、中村雅俊を宣伝マンに起用して大々的にアピールしたほどである。
また、その2代目のデビュー当初は、サザンオールスターズと森英惠を宣伝マンに起用していた。