概要
逃げる事が出来ない絶体絶命の状況を指す。現在では故事成語として日常会話で使われる事もある。大体の場合は絶体絶命の状況を必死で乗り切るという意味合いで使われるが以下のように二つの故事が基になっている。
1.中国秦代末期の話。始皇帝死後に発生した陳勝・呉広の乱に動じ秦に対し叔父と共に挙兵した項羽は叔父を失うも快進撃した。しかし、秦の名将章邯と鉅鹿でにらみ合いになる。各国合同反乱軍が足踏みする中、項羽はこの状況を打破するために凄まじい行動に出た。秦軍と戦う前に食料物資を3日分だけのこしてあとは全部放棄してしまったのである。3日以内に勝たねば全滅という状況に項羽軍は奮い立ち、怒濤の勢いで章邯軍を蹴散らした。
2.秦が滅亡した後の楚漢戦争期の話。漢が趙と井陘(セイケイ)で戦った時、圧倒的に兵力が少ない漢軍は趙軍の城を攻めあぐねた。漢軍の指揮官だった韓信は別働隊を隠して城に攻撃を仕掛け、敗走を装って川を背に戦う(即ち逃げ場が無い)という戦術を取った。趙軍は圧倒的に有利な状況に気を良くし、城には僅かな守備隊を残すのみで手勢の大半を率いて漢軍を追撃。守りが薄くなった城を別働隊が陥落させて漢軍が勝利を収めた、というものである。一般的にはこちらが故事としてとりあげられることが多い。
このように絶体絶命の状況下を乗り切ろうとすることを背水の陣を敷く、背水の陣で臨むと言う事があり、日常会話でも度々使われる事がある。
しかしながら、この戦術の要は韓信のパターンのように「相手に有利な状況をわざと用意して油断を誘い、別方向から相手の弱点を突く」という点にあり、すなわち本質的には陽動作戦(囮戦術)である。
一般的な用法での「背水の陣を敷く」という表現は、「追いつめられた状態で戦う」という韓信の策の最も目立つ部分にしか着目できていない。したがって「背水の陣」と言いつつもカウンターアタックをかける伏兵=余力の用意がない状態で戦えばどうなるか。
項羽の成功の幻影に縋る実行者はヤケクソで前進突撃を繰り返し返り討ちに遭い、韓信の成功の幻影に縋る実行者は結局溺れ死に敗北する。
戦術は見かけだけ似せても意味が無いのだ。
一般的な使用例
- テスト前日だけど全然勉強してない。背水の陣で臨まないと。
- 赤ちゃんの身に危険が来た時にやむ得なくキャラチェンジすること。
関連タグ
四面楚歌(四字熟語):こちらも項羽と韓信が絡んでいるが使い方を背水の陣と混同しないように。
紅美鈴:メイン画像のキャラ。「くそ、背水の陣だ!」という台詞がある。「あんた一人で『陣』なのか?」と返されているが。