概要
逃げる事が出来ない絶体絶命の状況を指す。現在では故事成語として日常会話で使われる事もある。大体の場合は絶体絶命の状況を必死で乗り切るという意味合いで使われる
一般的な使用例
- テスト前日だけど全然勉強してない。背水の陣で臨まないと。
- 赤ちゃんの身に危険が来た時にやむ得なくキャラチェンジすること。
由来となった故事
以下のように中国古代における二つの戦いが基になっている。
鉅鹿の戦い
前207年、楚軍を率いる項羽は秦の名将章邯に包囲された趙の鉅鹿城救援の兵を起こす。しかし各国合同反乱軍が足踏みし、楚軍の先鋒隊も苦戦した。項羽はこの状況を打破するために凄まじい行動に出た。秦軍と戦う前に食料物資を3日分だけ残してあとは調理道具もろとも全部放棄し、攻略失敗時に退却するのに必要な船を自ら全て沈めてしてしまったのである。3日以内に勝たねば全滅という状況に項羽軍は奮い立ち、怒濤の勢いで章邯軍を蹴散らした。
こちらに関しては決死の覚悟で出陣すること、生きて帰らない決意を示すことを示す四字熟語の「破釜沈船(はふちんせん)」の由来になっている。
井陘の戦い
前204年、漢の韓信は劉邦の命で西魏を制圧後、趙へ侵攻し趙の宰相・陳余と井陘(セイケイ)で戦った。圧倒的に兵力が少ない漢軍は趙軍の城を攻めあぐねた。そこで韓信は別働隊を隠して城に攻撃を仕掛け、敗走を装って川を背に戦う(即ち逃げ場が無い)という戦術を取った。趙軍は圧倒的に有利な状況に気を良くし、城には僅かな守備隊を残すのみで手勢の大半を率いて漢軍を追撃。守りが薄くなった城を別働隊が陥落させて漢軍が勝利を収め趙を滅ぼした。一般的にはこちらの方が背水の陣の故事として取り上げられることが多い。
「背水の陣」の本質
このように絶体絶命の状況下を乗り切ろうとすることを背水の陣を敷く、背水の陣で臨むと言う事があり、日常会話でも度々使われる事がある。
しかしながら、この戦術の要は韓信のパターンのように「相手に有利な状況をわざと用意して油断を誘い、別方向から相手の弱点を突く」という点にあり、すなわち本質的には陽動作戦(囮戦術)である。
一般的な用法での「背水の陣を敷く」という表現は、「追いつめられた状態で戦う」という韓信の策の最も目立つ部分にしか着目できていない。したがって「背水の陣」と言いつつもカウンターアタックをかける伏兵=余力の用意がない状態で戦えばどうなるか。
項羽の成功の幻影に縋る実行者はヤケクソで前進突撃を繰り返し返り討ちに遭い、韓信の成功の幻影に縋る実行者は結局溺れ死に敗北する。
戦術は見かけだけ似せても意味が無いのだ。
スポーツにおける『背水の陣』
スポーツにおいては試合終盤、負けているチームがに失点のリスクを抱えてでも攻撃するプレイヤーを増やし、相手に追いつく事を狙う戦術がある。
アイスホッケー
試合終盤、負けているチームはゴールキーパーが交代して(選手の交代は自由)、六人で攻撃に移ることがよく見られる。
当然相手にパックを取られれば失点のリスクは大きくなるが、アイスホッケーでは攻撃参加する人数による差が大きいため、この六人攻撃が決まることも結構ある。
ゴールキーパーがいない状態のゴールを『エンプティーネット』と呼ぶ。
サッカー
こちらも試合終盤、負けているチームがコーナーキックやフリーキックなどセットプレーのチャンスを得た場合、負けている方のチームのゴールキーパーが上がってくる事もある。
アイスホッケー同様、相手にボールを取られれば失点のリスクがある。
サッカー(11人)ではアイスホッケー(6人)ほど攻撃参加の人数の差が大きくないことと、やはりゴールキーパーは攻撃には慣れていないので、キーパーを上げてこないケースもある。
*セットプレーに失敗し、逆に点を決められてしまうシーンもある。
関連タグ
四面楚歌…楚漢ネタ。こちらも項羽と韓信が絡んでいる。
紅美鈴:東方紅魔郷に出てきたキャラクター。「くそ、背水の陣だ!」という台詞がある。「あんた一人で『陣』なのか?」と返されているが。