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中山忠親の編集履歴

2021-11-14 17:31:31 バージョン

中山忠親

なかやまただちか

中山忠親とは平安時代から鎌倉時代の公卿。

概要

父は藤原忠宗羽林家中山家の始祖。


プロフィール

時代平安時代末期ー鎌倉時代初期
生誕天承元年(1131年)
死没建久6年3月12日(1195年4月23日
官位正二位、内大臣
主君崇徳天皇近衛天皇後白河天皇二条天皇六条天皇高倉天皇安徳天皇後鳥羽天皇
氏族中山家
父母父:藤原忠宗、母:藤原家保の娘
兄弟忠光忠雅中山忠親三条実行
藤原光房の娘、平時忠の娘
兼宗忠季兼季忠明三条公房室、ほか

経歴

天承元年(1131年)に誕生、保延6年(1140年)に従五位下、以降は左衛門佐や蔵人頭に就任し長寛2年(1164年)に参議となる。仁安2年(1167年)に権中納言、右衛門督や言仁親王(安徳天皇)の春宮大夫や後白河院の別当も就任する。寿永2年(1183年)に権大納言、建久2年(1191年)に内大臣となり建久5年(1194年)に出家した。


外部リンク

中山忠親 - Wikipedia


関連タグ

公家 中山家 花山院家 平安時代 鎌倉時代

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