松本人志
漫才コンビダウンタウンのボケ担当。浜ちゃんにどつかれる(頭を叩かれる)のがお約束である。
兵庫県尼崎市出身。トレンドマークである坊主頭は1998年7月から始めたもの。
1982年、浜田雅功とダウンタウンを結成。
かつては島田紳助をリスペクトしたものとされるリーゼントヘアにお腹が出ている事を相方にいじられるほど運動が苦手で嫌いな文科系タイプで独身、「一生吸い続ける」と公言したほどのヘビースモーカー(現在は禁煙に成功)だったため過去の映像を見ればほぼ180°変わった印象を受ける人物でもある。
俳優や歌手などマルチに活動する浜田とは違い、どんな仕事を引き受ける時もあくまで自分はお笑い芸人として必ず「笑い」を交える事をモットーとしている。ダウンタウンが関連するユニットのほとんどの作詞も手掛けているが、その時も笑いの要素を取り入れている。
相方が小室哲哉とタッグを組みH Jungle with tとして発売した「WOW WAR TONIGHT」でアドリブに松本が入れたのが「B U S A I K U H A M A D A(不細工浜田)」なのは有名。また、相方がこの曲のヒットで社会現象を起こした裏で彼も彼で執筆活動を行い、著書「遺書」が大ヒットとなった。
2007年に「大日本人」で映画監督デビュー。
2009年、元タレントの伊原凛と結婚。
同年10月6日に、第一子となる長女が誕生した。
最近著しくマッチョ化しており、長らく続けていた坊主をやめ髪も銀髪→金髪に染め伸ばすようになっている。染めた理由は白髪を隠すため。
野球嫌い
松本は芸能界でも屈指の野球嫌いとして有名。
ただ、野球自体も嫌いだが、それ以上に嫌いなのが野球ファンであることが「遺書」で明言されている。
それが以下(引用)。
「オレが嫌いなのは野球ではなく、あの必要以上に熱狂するファンなのだ。結局、ヤツらは学校や仕事先でがんばれてなかったり、勝ててなかったりするヤツらの集まりで、それをひいきチームに託し、そのチームががんばれば自分もがんばった気になるし、勝てば、まるで自分が勝ったような気になるのだ。オレのように、毎日戦っている人間なら、人を応援する余裕なんてあるわけがない。」
野球自体も、学生時代に隠し玉をされたことが原因であるとのこと(これが部活であったのか遊びであったのかは不明。ただ、松本の世代は過激な体罰も普通にあった)。
また、フジテレビで放映中の「人志松本の酒のツマミになる話」で、1997年に「ダウンタウンのごっつええ感じ」が突然終了した経緯を語っている。
この時、元プロ野球選手の新庄剛志が出演し、松本に「聞きたいことがあるんです」と切り出し、「ごっつ突然終了は野球中継が原因なのは本当なのか」と真相を聞いた。
これに松本は「ヤクルト戦です」と、プロ野球中継が一因であることを認め、さらにこう語った。
「一報、欲しかったですよ。それが一切なくて。あの時、『ごっつ』のスペシャルで2時間で結構自信あって、めちゃくちゃおもしろいもん撮れた、ほんと是非見てほしいと思ってたら、急にバーンって、なんの連絡もなくなって」
その上で、「ちょっと血気盛んな頃やったんで、ちょっとプチッときちゃって、止めじゃーって」と明かした。
この当時、スタッフ陣との仲は険悪で、この発言を聞いたスタッフも「芸人のクズだ」「何様のつもりだ!」と怒りを爆発させている。
これら一連の流れの終了は、「(ごっつええ感じ)打ち切り事件」とも呼ばれている。
松本はこの一件でフジテレビだけでなく、プロ野球関係者からも非難を浴びることとなり、特に明確に松本を非難したのは豊田泰光(現在は故人)、中邨秀雄(現在は故人)、そして萩本欣一の3人。
・豊田泰光
週刊ベースボールのコラムで名前こそ出さなかったものの、「野球関係者に対する侮辱ですよ」と書いて非難し、憤っていた。
・中邨秀雄
当時の吉本興業の社長。学生時代はラガーメン(ラグビー選手)。
松本の言動をスポーツ関係者全般に対する非礼だとして「言語道断だ!」と憤り、松本を社長室に呼び出して大説教をかました。
・萩本欽一
「野球中継への差し替えは当然のこと。松本君のような行動を取ったら笑われるよ」と名指しで冷たく非難。
一方で大沢啓二は、自分の仕事にプライドを持つ松本の姿勢を高く評価していた(野球好きである萩本が松本を非難するコメントをしたことに対して)。
この件のしばらく後、他の番組で古田敦也らヤクルト選手と共演し、この件をネタにトークを展開。その事件によるお互い個人的なわだかまりは無いことを強調していた。