黄ばみ
きばみ
パンツの黄ばみ
衣類に関して言及する場合、とりわけパンツに発生した尿ジミが乾いたものについて言う。
原因事象に関しては「軽失禁」によるものと、用足し後の「残尿」によるものが存在する。
これらの原因事象によりパンツが尿により濡らされた後、その部分が自然乾燥して形成される。
黄ばみの大きさは、原因事象により尿の付着した面積、すなわちパンツに吸収された尿の量に比例し、色合いは原因事象を引き起こした尿の色合いに強く依存する。
一般に軽失禁に起因する黄ばみの方が原因事象を引き起こした尿の総量が多い傾向にあるため、残尿によるものより大きな黄ばみが形成される。
白ブリーフや白パンティーの場合特に目立つため、頻繁に原因事象に見舞われる人はなるべく濃い色の下着を着用することで目立たなくすることができるが、見た目黄ばみが目立たなくなったからと言って物理的にきれいになるわけではないので注意が必要である。
軽失禁の場合
軽失禁は、失禁という程度には至らず、はたからはその事実を観察することができない程度の軽微な失禁を意味する。かようの軽微な形態の失禁にあっては、ズボンやスカートなどの外部から視認できる衣服には全くのダメージがない場合が大半であるが、おしっこが出てしまったことには変わりないのでパンツは深刻なダメージを受ける。
軽失禁をしてしまう原因としては、女性の場合は長時間の我慢に耐え切れず出てしまったもの、男性の場合は前立腺の肥大化により尿道の締まりが悪くなることによるものがそれぞれ代表的である。また、男女とも加齢による括約筋の低下によってくしゃみなどの刺激で出てしまうという場合もあるが、件数としては女性にやや多い。
残尿による場合
男性の場合
軽失禁によるパンツの黄ばみは男性よりも女性に多く見られるが、残尿による黄ばみは圧倒的に男性に多くみられる(というより、女性の場合で後述する理由によりほぼ男性に特有のものである)。
小用を終えた後、男性はイチモツを振って雫を切ってから衣服を整えるが、この際に容量の悪さや横着によって適切に露切りができていない場合にパンツに尿のシミが付着し、黄ばみとなって残る。
より具体的には、振る前に尿道に残った残滓を絞り出す作業をしていない、もしくは不十分であることにより、先端部に付着した分が落ちても中にまだ残っているので、時間とともに先端部に繰り出され、次々とパンツに付着しているという例が大半である。振る前にしっかりとイチモツを握って絞り出すことによりこの悲劇を防止することができるが、人目を気にする野小便の場合などは焦りから処理がおろそかになる場合がある。また、包茎の場合は亀頭と包皮の間に残る残尿も無視できず、毎回皮をむいて絞り出す動作が必要であるが、真正包茎の場合は物理的にこの動作を行うのが困難であるため、黄ばみの発生確率は優位に上昇する。
また、幼い男児の場合、これらの絞り出す動作や、振る際の確実に雫を落とせる上手な振り方などの適切な技術的テクニックを確実に習得していないことが原因で、排尿のたびにシミをつけてしまうことが防げない場合が多々ある。一般に、排尿の後始末は後述する女児の方が手間がかかり、より高い年齢まで親の介助が必要と言われることが多いが、女性の場合は確かに手順数が多く時間がかかり、面倒ではあるものの個々の所作に関してはさほど高度な小手先の器用さを要するものではなく、一度手順さえ覚えてしまえばあとは考えなくとも手が動くため、以降の練習等は必要ないのが実情である。対し、男児の場合はほぼ唯一の手順であるこの「露切り」に、頭ではなく体と感覚で覚えなければならない小手先のテクニックを要するため、一度口で教えて覚えさせただけでは不十分であり、長年の経験と技術を有する人生の先輩により、一連を動作を体で覚えさせるための反復指導が行われることが望ましいのである。
前立腺肥大症を発症した男性は尿道内に残る尿量が増えてキレが悪くなるため、この絞り出す動作が困難になりがちである。そのため、このパンツの黄ばみは前立腺肥大症の発症を自覚するためのバロメータとしての側面を持っている。世の専業主婦の皆様は、夫のパンツが汚くなってきた場合清潔感がなくなってきたなどと安易に根性論で責めるのではなく、隠れた病気のサインである可能性を考えていたわりある行動を心がけるべきであろう。
女性の場合
女性の場合は、その体の構造上、小用のときも紙を使用する。この手順はトイレットペーパーという資源を要するうえ、時間もかかるため一見女性の方が男性より高度な技術を用いて後始末をする必要があると考えられがちだが、トイレットペーパーは吸水性が非常に高く、極論を言えば「紙が触れた個所は水気が完全になくなる」ので、小手先のテクニックとしては「ワレメの中に確実に指先を入れて拭く」「ワレメ以外の、お尻の方に垂れた雫なども横着せずに確実に拭く」といった程度の簡単なしつけさえ身につければ男性のようにパンツが触れる範囲に雫が残ることはほぼない。そのため、基本的に排尿後の残尿によって下着が黄ばむことは皆無であり、小学生以上でパンツを真っ黄色に染めている児童は男児には普通にいても女児にはめったにいないと言って過言ではない。そのため、基本的に女性のパンツが黄ばむことはなく、黄ばみのように見えるのはパンツ自体の経年劣化に伴いおりものや汗によるダメージで繊維が変質したものである。
しかし、逆に言えば、女性が拭くという男性に比べて確実性の高い方法を用いて後始末をするには、それなりの理由があるからとも言える。まず、女性の泌尿器はその凹部が多く凸部を持たない形状故に、残尿がこの凹部に大量に付着し、「振る」「絞り出す」などの物理的な外力を加えることで取り除くことができない。また、男性のように長くて細い尿道ではなく、短く太い尿道を持っているため、尿道に残尿がたまる余地こそないものの、尿が膀胱の内圧をもろに受けた状態で勢いよく噴射されるため、出口で大量の飛沫を発生させ、広範囲に飛散、付着する性質もある。さらに、このとき尿線がワレメの中で分岐することもあることも相まって、尿線を構成する尿と皮膚の接触する部分の面積が男性とは比較にならないほど大きい。一方出し終わりの勢いが弱まったころには勢いを失った尿が臀部や大腿部に垂れて付着する。付け加えて成人女性の場合には、陰毛が尿の出口より外側に生えているため、毛までびしょびしょになる。つまり、端的に言えば放尿によって発生する下半身の汚れの程度が、男とは比べ物にならないほど深刻であり、かつその汚れをトイレットペーパーに代表される外的な資源を用いることなく取り除くことが一切できないのである。しかし、そんな股間に対する甚大な水属性ダメージをさっとひと拭き、一瞬で元通りにしてしまうトイレットペーパーの威力は偉大を通り越して革命的である。まさに神である。
が、このチート級の無敵とも言える方法にも、致命的な弱点が存在する。それは、トイレットペーパーという外部資源の存在に完全に依存しているという、システムの脆弱性である。このことが資源の供給が絶たれた有事の際に絶望的な結果を招くのである。
男児諸君の場合は「振る」「絞り出す」などの高度なテクニックを身につけるまで、先にテクニックを身に着けた先輩の男児や神の加護を受けた女児に引け目を感じながらも黄ばんだパンツを恥を忍んで履き続け、振り方を覚えるという苦行を乗り越えなければならない。しかし、その苦難の先に身に着けたテクニックはほかならぬ彼自身のものだ。そのため、一度テクニックを身に着けてしまえば一切の資源の供給のない荒野において用を足すことになろうと、一切パンツにダメージを与えることのなく、自由に用を足すことができるのである。一方、試練を乗り越える前の君と君のパンツを笑った女児は、神の加護に見放された荒野において突如尿意を催した瞬間、彼女らの清らかなる純白の布の致命的危機に見舞われるのである。紙という無敵の資源を失った瞬間、彼女らにできることはもう何もないのである。前述のとおり、男性とは比較にならないほど局部を汚して用を足すことを余儀なくされる女性は、その唯一の頼りである神に見放された瞬間、その男性とは比較にならない甚大な局部の汚れを、なすすべなく純白の布の中に包み込むことを余儀なくされるのである。結果、純白の布は一瞬にして湿り気を帯び、やがて乾いた暁には真白の布は山吹に色染むのである。そしてそれは必ずや、「露切り」のテクニックを会得していなかった故に彼女らの物笑いの種となっていた幼い彼らのつけていた「黄ばみ」とは比べ物にならないほど大きく広がり、万が一気まぐれな風の悪戯などにより衆目に晒された場合に受ける辱めは、幼少期の彼らが受けたそれの比ではない。
御託を並べたが簡潔に言えば、「女の子はおしっこしたらふきふきするから、男の子と違ってパンツが黄ばむことはめったにないんだよ。でも、もしふきふきできない状況でおしっこしなきゃいけなくなった場合、男の子ではありえないぐらいパンツが黄ばんじゃうことが避けられないんだよ」ということだ。
したがって、女性がパンツが残尿で黄ばみむのは、ひとえに事後に紙を使用することができない状況での花摘みを余儀なくされた場合に限られる。したがって、女性がパンツを残尿で黄ばませてしまうことを防ぐために必要なのは、男性のような後始末のテクニックを鍛えて高度な露切り能力を磨くことではなく、どんな単距離、短時間の外出であっても必ずポケットティッシュを携帯し、出先のトイレの紙切れや、万が一野ションせざるを得なくなったときに股間を拭き清めることのできる体制を整えておくとともに、決して野外での花摘みを余儀なくされることのないよう、尿意の有無にかかわらずこまめにトイレに行くよう心がけることである。そして、神に見放されて用を足すことを余儀なくされた場合は、潔くあきらめて己の股を汚すことを涙ながらに受け入れることだ。