独:Gott_ist_tot.
英:God_is_dead.
概要
「神は死んだ」とは、宗教批判と虚無主義(ニヒリズム)を意味する哲学者フリードリヒ・ニーチェの寸言であり、一種の科学的精神(啓蒙的・実証的・合理的精神)であると言われる。
ニーチェは「神々の死」とも述べている。
近代化・産業化・科学化の中で、ニーチェは宗教的・哲学的観念の滅亡を宣言した。
つまり?
- 中世まで特権階級以外に金銭的な余裕はなく、多くの民衆は日々の時間を労働と神への祈りに費やしていた。
- しかし近代化により人々に経済的・時間的な余裕が生まれ、宗教以外へ関心を向ける余裕ができた。
- やがて人々は宗教より商売や教養に関心を高めていき、かつての中世のように真剣に神に祈る時間は減るばかりか、神に対する自分勝手な解釈をする人が横行していく。
- こうして真摯だった教会の信仰は薄れ、神は中世までのような絶対的存在から引きずり下ろされ、その権威は死んだものとなった。
もっと端折って言えば「もう誰も真剣に神様や教会のご機嫌なんて気にして生きていない」ともできる。
古来より神は人間にとって絶対的な存在であり、誰しもがより大きな神の恩恵を得ることを欲した。故に神を祀る教会は大きな権威を誇り、誰も逆らえない存在だった。
特にキリスト教会では、13世紀から18世紀まで教会の権威の下で執行された魔女狩りの悪習などをはじめ、一度でも教会に背けば社会生活は不可能になるほどだった。
だが19世紀におきた産業革命によって、これまで以上にお金を稼ぐことに関心が寄せられていき、より稼ぐため知識と教養を身につけていくことに時間を使い始める。
こうして知恵と経済力を得た民衆の力は、もう教会の制御できるものでなくなったばかりか、彼らから神の名を借りて寄付を募ることしか出来なくなってしまった。
ニーチェはこうした時代の流れを見て、未だに自分で思考せず神やそれがもたらす運命の絶対性に頑なにしがみつく人々に、「なんでも神様任せにせず、自分で考えて生きよ」と厳しく喝破する意図を持たせた。
このように、世界や人間の在り方・在るべき姿の指標を他者に委ねず、自身で考え見定め真理を追求してゆく姿勢を哲学と呼ぶのである。
なお21世紀においても、キリスト教的な宗教観は西洋をはじめ各地で健在である。ただそれは「文化的に残った信仰」に留まっており、むしろ昨今では東洋の多神教や古代の信仰への関心が高まっている。
関連タグ
ニーチェ先生 お客様は神様です:劇中でカスハラへの反論として本項の文言が使われた。
源平討魔伝:エンディングに「神様は死んだ」という一節がある。