pixivでは主に「ニーチェ」のタグで登録されている。
概要
フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ(Friedrich Wilhelm Nietzsche, 1844-1900).
19世紀末ドイツの哲学者。近代ヨーロッパが基盤としたキリスト教や主知主義などからの転換を図り、分野を越えて後世に大きな影響を与えた思想家。
アフォリズム(箴言)を主とした文学的な表現を多用したこともあり、さまざまな作品で引用されるなど、一般的にも知られている。ただ、その思想内容が体系化・単純化を拒むものであることから、しばしば誤解・曲解される思想家でもある。
生涯
1844年、プロイセンでルター派牧師の長男として生まれる。幼くして父を亡くし、周囲からは神学者となることを期待されるが、文献学の道へ進む。斯界の重鎮F.リッチュル教授に見込まれ、24歳にしてスイス・バーゼル大学の教授となる。文献学者としては、ディオゲネス・ラエルティオスの研究などに業績を残している。
しかし、1872年に発表した『悲劇の誕生』が文献学的手法から離れていたため、文献学界で批判の的となる。一時期心酔していた音楽家リヒャルト・ワーグナーとの決別や、病状の悪化もあり、1879年に大学を辞職。
左がワーグナーで右がニーチェ
その後、スイスやイタリアで転地を重ねる。哲学上の著作の大部分は、この時期に生まれている。
1889年、トリノで精神錯乱を起こし昏倒。その後、精神が回復する事はなかったが、理論的主著の計画が残されていた事から、更なる哲学的進境があったものと想定する専門家も少なくない。1900年に逝去。
発狂直後から、実妹エリーザベトにより手記や手紙の収集・管理が行われ、1894年にはニーチェ文庫が創設された。しかし、彼女が反ユダヤ主義を信奉する野心家でもあったため、ニーチェの手記や手紙は改竄・歪曲され、ニーチェ自身が度々軽蔑を表明した反ユダヤ主義に利用されることにもなった。
思想
一般的に、おおむね三期に分けて解説される。
初期にはアルトゥール・ショーペンハウアーとワーグナーの影響を受け、古典古代を範とし「アポロン的/ディオニュソス的」と称される対立を軸とする芸術哲学を構築。
ワーグナーとの決別後、心理学的考察によりキリスト教を始めとする一般的な道徳の原因を怨恨感情(ルサンチマン)と分析し、その結果としての「ニヒリズム」の到来(「神は死んだ」)を予告。
後期には、存在の形式を「権力への意志(「力への意志」とも)」「永劫回帰」とし、そうした無意味・無価値な渾沌を好ましいものとして肯定し自ら価値を創造する「超人」の哲学を説いた。
日本では、精力的に欧米文化の吸収が行われた時代と一致した事もあり、世界的にも早い1901年頃に高山樗牛らによって紹介されている。文学においても、夏目漱石の『吾輩は猫である』や森鴎外の『妄想』等、早期からニーチェへの言及が見られる。
親交
上述の通りワーグナーと親しく、彼の本拠地であるバイロイトにもよく出入りしていた。
ワーグナーの超大作オペラ「ニーベルングの指環」を観た前後から彼の作品に対して懐疑的になり、仲も悪化し、以後公然と著書でワーグナーを批判するようになる。
しかしその後もプライベートではワーグナーを相変わらず気にかけているような発言が見られたようだ。
主な著作
- 悲劇の誕生(初版では『音楽の精神からの悲劇の誕生』 )
- 人間的な、あまりに人間的な
- ツァラトゥストラかく語りき
- 善悪の彼岸
- 道徳の系譜
- この人を見よ(自伝)
- 権力への意志(遺稿集。上述のエリーザベトによる編纂)
よく引用される箴言
「……神は死んだ! 神は死んだままだ! そして、我々が神を殺したのだ!……」
『悦ばしき知識』第125節より
(※この節は物語仕立てになっており、この部分は「狂人」とされる登場人物のセリフの一部)
「怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ」
『善悪の彼岸』第146節
名言の宝庫として有名なため、格言っぽいだけの創作文に「byニーチェ」と付けるネタも存在する。この場合、扱いとしてはほぼ民明書房などと同等である。
ニーチェの思想を紹介している作品
(現在未完)