概要
量子力学の基本である「コペンハーゲン解釈」への批判。理論物理学者エルヴィン・シュレディンガーによって提唱された。量子力学では
- 全ての事象は観測された瞬間に確立する。
- 確立する寸前までは異なる複数の事象が重なりあった状態で存在する。
が前提となっている。しかしこれを正しいとすれば、「観測する前の1匹の猫が、『生きている』『死んでいる』という複数の状態として、同時に存在している」ことになるのである。
氏はたとえ話として、「ランダムの確率で毒ガスの出る装置とともに猫を箱の中に閉じ込めたとき、次に箱を開けた時まで、猫が死んだ可能性と生きている可能性は重なり合っている」とし、量子力学の奇妙さを指摘した。そこからこの思考実験がシュレディンガーの猫と呼ばれるようになったのである。
pixivにおいて
スカートの中身が見えないことで、はいているのかはいてないのか、はっきりと確認できないイラストにこのタグが付けられることがある。
詳しくは、シュレディンガーのパンツを参照。これでもだいたいあってる。
詳細
(以下は「哲学的な何か、あと科学とか - シュレディンガーの猫」からの抜粋、改変)
量子力学など
「へぇ~、そーなんだー。ミクロの世界では、日常的な世界観は通用しないんだねぇー」
ぐらいにしか感じないかもしれない。
だが、この「ミクロな世界」による「犬とか、猫とか、実際に見たり、触れたりできるマクロな世界」への影響はどうなるだろうか?
現代物理学の前提
量子力学の標準的な解釈(コペンハーゲン解釈)は、「二重スリット実験」によって以下のように提唱された。
「観測される前の、電子の位置は、ホントウに決まっていない。
電子の位置は、観測されて初めて決定される。
観測される前の、電子の位置は、
ここにあるかも、あそこにあるかもという『可能性』として多重に存在している」
というものである。
ここで重要なのは、一個の粒子として観測される電子でも、観測される前は本当に、複数の位置に同時に存在している点である。
もちろん、電子は観測すると、「位置A」か「位置B」のどちらかで観測される。コペンハーゲン解釈では、観測していないときは、「位置Aにいるかもしれない電子」 と「位置Bにいるかもしれない電子」が、ホントウに同時に存在している、と考えている。
そんなバカなと言いたいかもしれない。だが、よくよく考えてみると、理屈としては正しい。だって、観測していないんだから、
観測していない物質が、「ここにあるかも、あそこにあるかも」という
「観測される可能性」として存在している
と考えても、あながち間違いだと否定はできない。
ただし、量子力学は、けっして「比喩」や「言葉遊び」で、「複数の可能性が、存在する」と言っているのではない。「それらの可能性が、ホントウに現実に存在している」と言っている。
たとえば、二重スリット実験でいえば、観測される前の電子は、「位置Aに居る可能性」と「位置Bに居る可能性」という可能性が同時に存在しており、それらが干渉しあうことで、干渉縞という波がおきると考えられる。「干渉」を起こすのだから、この二つの可能性は、本当に『実在している』と言う以外にない(実在しなければ、干渉もしない)。
こういった考えに基づき、現代科学では、観測する前の電子はモヤモヤした状態で存在しており、「位置Aにあるかもしれないし、位置Bにあるかもしれない、位置Cに……」の様に、すべての可能性が重ね合わさって、同時に存在していると考えている。
このように、観測される前のモヤモヤ状態のことを「重ね合わせ状態」 と呼ぶ。
観測する前の物質は、「たくさんの可能性がゴチャゴチャに重なった状態」で存在しているということだ。そして、観測するとゴチャゴチャの中からひとつの状態が選択されて、それが観測される。どの状態が観測されるかは、シュレディンガー方程式(波動関数)で、確率的に予測することができる。
これが、量子力学のすべてである。
これに疑問を持ったのがエルヴィン・シュレディンガーだった。
シュレディンガーによる批判
理論物理学者である彼は、量子力学の基本方程式「シュレディンガー方程式(波動関数)」を作った。だが後年、彼はこんなヘンテコな科学に関わってしまったことを後悔して、物理学者をやめている。
そして物理学の世界から去るときに、彼は、量子力学をけなすため、このような思考実験を考えた。
初めに、中身が見えず音も聞こえない、開けない限り中の情報が一切分からない箱を用意する。そして、以下の3つを入れて、フタを閉じる。
- 電子
- 電子と反応するセンサ
- 猫
箱に入っているセンサは、「電子が位置Aにあると、毒ガスを噴き出す仕組み」になっている。毒ガスが噴き出せば、当然、箱の中の猫は死んでしまう。
逆に、電子が位置Aになく「別の位置Bにある」ならば、センサは反応しないので、毒ガスは噴き出さず、猫は生きていることになる。
さて、人間がフタを開けるまでは、箱の中がみえないのだから、猫が生きているのか死んでいるのか、知るすべはない。そして、当たり前のことだが、人間が実際にフタを開けて中を見たとき、猫は「生きている」か「死んでいる」かのどちらかである。
- 電子が位置Aにあるとき → 毒ガス出る → 猫は死ぬ。
- 電子が位置Bにあるとき → 毒ガス出ない → 猫は生きる。
だが、箱を開けていなければ、この箱の中の電子を観測していないのだ。
量子力学では、観測していない電子の位置は本当に決まっておらず、「ここにあるかも」という、可能性として複数の場所に同時に存在している。
だが、その電子の位置によって、猫の生死が決定されるのだ。
もし、量子力学が正しくて、電子が複数の位置に同時に存在しているというなら、電子の位置によって決定される「猫の生死」だって「生きているかも、死んでいるかも」という可能性として、同時に存在していなくてはならなくなる。
しかしながら、「生きている猫」 と 「死んでいる猫」が同時に存在するなんて、
日常的な感覚としては、「ありえない」ように思える……。
つまり、
量子力学「電子は、『複数の状態で、同時に存在している!』」
一般人「へぇ~、そんなもんなんだ~」
これの電子が猫に置き換われば、
量子力学「猫は、『複数の状態で、同時に存在している!』」
一般人「ありえないよ!こんなの明らかにおかしい!」
と思うわけで、シュレディンガーの狙いもそこにあった。
ようするに彼は、
「量子力学というミクロの物質についての不可思議な理論が、
猫とかのマクロな物質にまで影響するような実験装置」
を考えることで、量子力学がいかにメチャクチャなものであるかを示したかったのだ。
結論
量子力学のコペンハーゲン解釈が正しいのだとしたら、
「観察する前の1匹の猫が、
『生きている』 『死んでいる』 という複数の状態として、
同時に存在している」
という、あまりに常識ハズレなことを受け入れなくてはならない。
シュレディンガーの猫の解釈
パイロット解釈
『粒子は移動前に波を出し、その波に乗って移動する』とする解釈。電子は、観測する/しないに関係なく、いつも粒子であるとする考え方だが、後に破棄された。
量子力学の前提(コペンハーゲン解釈)は、二重スリット実験によって生まれた。「観測すると1個の粒子であるはずの電子」が、「観測していないときは、波のような存在(可能性)になっている」というヘンテコな話である。
だが、ツジツマが合えば良いってだけなら、別の考え方だってできるだろう。たとえば、粒子が観測される場所が、波の形になっているのだから、「波が出てから、粒子が飛ぶ」と考えるのはどうだろうか?
- ミクロの粒子(電子)が、移動する前に「波」を出す。
- 粒子は、その「波」に乗って、移動する。
ここでこの「波」は、「パイロットのように粒子を導く波」ということから、「パイロット波」とか「ガイドウェーブ」と名づけられ、このツジツマ合わせの説明を「パイロット解釈」と呼ぶ。
もう少しイメージしやすくするために、ゴルフ場を思い浮かべてみる。平らな地面で、ゴルフボールを打てば、ボールはまっすぐ進み、だいたい同じような位置にあつまるだろう。
だが、ボールを打つ前に、地面がウネウネと波うっていたら、どうなるか?当然、ボールは、まっすぐは進まず、その波の形に影響されて、あっちの谷(位置A)に転がっていったり、むこうの谷(位置B)に転がっていったりする。
と、こんなふうに
「空間を歪めるような未知の波が、先行して進み、
それが粒子の動きに影響を与えている」
と仮定すれば、二重スリット実験の不思議な現象は、案外、合理的に説明できてしまうのだ。
一個のボール(電子)は、観測する/しないに関係なく、いつも一個のボールである。単に移動するときに、ウネウネと動く波に影響されて、あっちで観測されたり、こっちで観測されたりするだけなのだ。それは、とっても、イメージしやすい。
しかし、この解釈には致命的な問題があった。
- どんなに日常的な直感と一致していようと、パイロット波は観測されていない
- 人間が手作業で解けるような代物ではないほど数式が難しい
しかも、方程式が複雑で難しいからといって、コペンハーゲン解釈の方程式(シュレディンガー方程式)より予測精度が高くなるわけではない。
パイロット解釈の方程式でも、やっぱり確率的にしか答えを出せないのだ。
多世界解釈
『生きている猫を観測している人』も『死んでいる猫を観測している人』も同時に存在しているとする解釈。観測者を特別視せず、観測者も記述の中に含めようという考え方から生まれた。
1957年、当時、プリンストン大学の大学院生にすぎなかったヒュー・エヴァレットが単純な提案をした。
『猫を観測している人間』だって、同じミクロの物質で作られている。
だったら、量子力学の結論は
『人間』にも適用できる。
「電子が多重に存在するなら、猫だって多重に存在するはずだ!」という「シュレディンガーの猫」の思考実験について、「だったら、それを見ている人間だって、多重に存在するはずだ!」と、誰もが見落としていたことに、ひとりの学生が見事に気付いた。
「見ている人間が、多重に存在する」ということは、『私がいる世界』が多重に存在しているということであり、それはつまり、『多世界』が存在しているという結論になる。
言い換えれば、コペンハーゲン解釈(カチコチの粒子だと思われてきた「一個の原子」が、実はそんなものではなく、「ここにあるかも、あっちにあるかも」という可能性が重なり合った「波のような存在」であるとする説)が正しいのなら、人間も含めて、すべての物質は「あらゆる可能性が重なり合った波のような存在」と考えることができる。
つまり、宇宙とは、波のように漂う「巨大な可能性の塊」であるといえる。そうすると、宇宙における、あらゆる可能性は、今ここに、重なり合って存在していることになる。
人間が観測する/しないに関わらず「世界は、あらゆる可能性を含んで、いまここに存在している」のだ。つまり、「最初から分岐している」と言える。そして、「この観測者(私)は、たまたま、その可能性の中のひとつだった」という話である。
だから、可能性としては、「生きている猫を観測する私」も存在しているし、「死んでいる猫を観測する私」も存在している。「人間が観測したら、世界が増える、分岐する」などのような人間を特別視した主張をしているわけではない。
結局はコペンハーゲン解釈
実際のところ、現場で活躍している多くの科学者からすれば、コペンハーゲン解釈だろうと、パイロット解釈だろうと、多世界解釈だろうと、観測によって証明できない以上は、どれも同じレベルの仮説(ヨタ話)にすぎない。
で、どの仮説(ヨタ話)を採用しようが、予測できる結果は一緒なのだ。
シンプルで綺麗な数式として表現できない理論に、使い道などない。
ならば、数式が簡単な方を使うに決まっている。
(抜粋、改変は以上)
主なシュレーディンガーの猫関係の作品
既存のエンターテインメント作品の中でも、この量子力学への批判が「量子力学の説明として」語られる時がある。「コペンハーゲン解釈が正しい=上述の常識ハズレなことを受け入れている」という下地があれば、むしろシュレディンガーの猫はコペンハーゲン解釈の分かりやすい例えとも言えるからであろう。
大概は作者独自の解釈が織り交ぜられている。
とある魔術の禁書目録(ライトノベル)
「自分だけの現実(パーソナルリアリティ)」、すなわち、物理法則を捻じ曲げて超常現象を起こす力は量子力学を基にしているとされている。能力者は超常現象が起こるという限りなく低いがゼロではない可能性を観測することで確定させ、能力を発揮している。
※ただしこれは「物理学によって物理法則を捻じ曲げている」という意味になる(量子力学は相対性理論と同じ現代物理学)。
青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない(ライトノベル)
ヒロインの桜島麻衣が周囲から認識されない現象(思春期症候群)の説明に、シュレディンガーの猫の理論が用いられた。
15話でキャノン・イルフートに搭乗したウィル・ゲイムが戦死。戦闘後の機体は頭と両腕を捥がれ、胸部を覆っていた装甲も剥がれ、コックピットの隙間からウィルの遺体の両手だけが伸びており、本編ではそれ以上は映されなかった。そこにロランの「でもあれ、腕だけかもしれません」という発言も加わることで、視聴者に底知れない恐怖を感じさせる本編屈指のトラウマシーンとなっている。
この演出は、シュレディンガーの猫理論の不確定要素から来る心理的不安を上手く生かした富野由悠季氏だからこそ成せる業と言えるだろう。ちなみに富野監督は以前に手掛けたガンダム作品でも似たような演出を使っている。
ウルトラマンメビウス(特撮ヒーロードラマ)
この理論を能力に応用した『ディガルーグ』なる怪獣が登場している。
パワプロクンポケット10(野球ゲーム)
ある彼女のシナリオにおいて、彼女が好んで「箱の中の猫」という表現を使用。終局に至る過程においてはこの言葉が重要な言葉となる。
HELLSING(漫画)
シュレディンガー准尉という人物が存在する。
地球上のあらゆる場所だけでなく他人の思考の中にも存在でき、
頭を撃ち抜かれても何度も生き返る。
猫耳である。
Season14の第17話「物理学者と猫」がこの「シュレディンガーの猫」を題材としたエピソードになっている。
事件の推理に重点を置かず、とある大学の構内で発生した殺人事件の顛末の可能性を幾つも示すという、シリーズ全体で見てもかなりの異色作となっている。
ナーガを生存させつつ全ボスを倒すという矛盾した目標を達成するために、「動物がスポーンして、その動物がスイッチを踏むとナーガが死ぬ」機構を作り出した。しかし普通のコンピューターは物理乱数生成器は使用しないことなどから視聴者に突っ込まれている。
リィンカーネーションの花弁(漫画)
シュレディンガーは前世がエルヴィン・シュレディンガーであり、首を切って"輪廻返り"することで「才能・猫は選択者」を使うことができる。
字の通り、自身で未来を選択できるというある意味真逆の性能になっている。