史実での平知盛
知盛はわずか8歳で従五位下となり、その後も栄進していき、武蔵国の国司・知行国主として、同国から多数の平氏家人を獲得、人望があったとされる人物である。
官位は従二位行権中納言で、世に新中納言と称された。
兄の重盛・宗盛は後白河院に対して優柔不断であったため、清盛は知盛に期待をかけたらしく「入道相国最愛の息子」と呼ばれた。
最期は、壇ノ浦の戦いで平氏滅亡の様を見届け、海へ身を投げ自害したとされる。
そのとき、知盛は碇を担いだとも、鎧を二枚着てそれを錘にし、「見るべき程の事をば見つ。今はただ自害せん」と言い残して入水したとも言われている。
これに想を得た文楽及び歌舞伎『義経千本桜』の「渡海屋」「大物浦」は、別名「碇知盛」とも呼ばれ、知盛が崖の上から碇と共に仰向けに飛込み入水する場面がクライマックスとなっている。
関連人物
平清盛 - 父。
治部卿局 - 妻(正室)。
平重盛 - 長兄。
平宗盛 - 三兄。
平重衡 - 弟。
遙かなる時空の中で3
怨霊が多い平家武将の中で数少ない生身の人間であり、退廃的な雰囲気のを持つ平家の武将。
戦の高揚感を好み、武器は二刀流の使い手。
非戦闘時は気だるそうで、何に関してもあまりやる気が窺えない。
普段着は着崩しており、両目の下に個性的な模様がある。