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立浪和義の編集履歴2022/04/23 13:00:34 版
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立浪和義

たつなみかずよし

大阪府出身の元プロ野球選手。2022年シーズンより中日ドラゴンズ1軍監督。

概要

1969年8月19日生まれ、大阪府出身。身長173cm、体重70kg。ポジションは主に内野手

PL学園高校時代には主将として甲子園に出場し、2学年上のKKコンビが成しえなかった春夏連覇を達成した。1987年のドラフト会議にて競合の末、中日ドラゴンズに1位で指名され入団。

ルーキーの1988年から1軍で起用され、同年のリーグ優勝に貢献、新人王にも輝く。

プロ野球選手としては小柄で華奢であったが、天性の野球センスと冴える闘志を武器に21年間にわたり活躍。西沢道夫、高木守道に続く3代目の「ミスタードラゴンズ」を襲名している。

選手として

極めて優れた選球眼を持ち、現役通算で四球数(1086)が三振数(1007)を上回っている。

立浪以外に四球数>三振数を記録した大打者の顔ぶれは、王貞治(通算868本塁打)や門田博光(通算567本塁打)、落合博満(通算510本塁打)と球界を代表する長距離砲ばかり。

通算171本塁打と、いわゆる中距離砲に分類される打者がこれほど四球を選び、かつ三振も少ないのは極めて異例。

ただ出塁に長けるだけでなく、チャンスにも非常に強い。特に満塁時には打率.341 7本塁打(2本のサヨナラ満塁本塁打はMPB最多タイ記録) 166打点(173打席)と常軌を逸した数字を残している。

これを買われて4番に座ったこともあるが、本人は「自分はホームラン打者ではないので……」と、あまりシックリきていなかった模様。

なお現役通算で打率.285、2480安打(NPB歴代8位)という好打者ぶりとは裏腹に、首位打者や最多安打といったタイトルは1度も獲得していない。通算525本塁打、1530打点を挙げながら無冠に終わった清原和博ほどではないにせよ、これも中々珍しいことであろう。

打棒だけでなく守備でも高い貢献度を誇り、高校時代に就いていた遊撃の他にも二塁や三塁をソツなくこなした。二塁、三塁、遊撃の内野3ポジションでゴールデングラブを受賞したのはNPB史上立浪のみ。

入団当初からレギュラーに抜擢され、2年目を除いて大きな離脱もなく、歓声の中心には常に立浪の姿があった。2003年には2000本安打を達成し、名球会入り。2005年には日本プロ野球新記録の通算450二塁打を達成した。

2006年以降は森野将彦の本格化や自身の衰えにより、レギュラーとしての出場はなくなる。

しかし引退後には「この期間で野球を勉強できた、成長できた」と、控えに回されるという初の経験により、知見が広がったと語っている。

控えになってもその人気は健在で、ネクストバッターズサークルに出てきただけで球場がざわつき、いざ打席が回れば「代打、立浪」のコールが聞こえなくなるほどの大歓声が上がった。

現役最終年には77試合(80打席)に出場し、

打率.318(66-21) 1本塁打 17打点 12四球(7三振) 出塁率.425

ファンの期待に応える好成績を残し、惜しまれつつの引退となった。

ミスターツーベース」の異名通り二塁打とは縁が深く、通算487二塁打は未だNPB歴代最多。さらにプロ初安打もプロ最終安打も二塁打である。意外なことにシーズン最多二塁打を獲得したことはない。

引退後

2009年に現役を引退。その後は野球解説者を務め、2019年にはプロ野球殿堂入りを果たした。

2022年シーズンからは中日ドラゴンズの1軍監督として指揮を執る。

自身をレギュラーに抜擢した星野監督、自身からレギュラーを剥奪した落合監督の双方から得た経験を活かし、若手を積極的にスタメン起用しつつも、競争を促す姿勢が随所に見られる。

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