実在した大名の水野忠邦
1794年(寛政6年)6月23日~1851年(嘉永4年)2月10日。肥前唐津藩主、のち遠州浜松藩主。
江戸時代後期の幕府老中。12代将軍徳川家慶時代の1841年から1843年まで天保の改革を主導していた。
倹約令や人返しの法(江戸への流入者を帰村させる)、株仲間(独占的な商工業者の同業組合)の解散などを実行したが、理想論に寄った改革は多くの反発を呼び、結局は改革は失敗し、自身も1845年に老中の職を辞した。
ちなみに祖父の水野忠鼎は広島藩主浅野宗恒の次男で、唐津藩主水野忠任の養子に入った人物であり、忠邦は血統上では豊臣政権の五奉行筆頭であった浅野長政の男系子孫にあたる。忠鼎の正室は享保の改革を主導した老中、水野忠之の曾孫であり、彼女と忠鼎の間に忠邦の父、忠光が生まれたことで水野監物家の血統は女系で維持された。祖父は忠邦の家督相続の時点では存命しており、父よりも長生きしている。
祖父は女系では、前田利家、徳川秀忠、結城秀康、松平忠直らの子孫にあたる。
「大江戸ロケット」の水野忠邦
CV: てらそままさき
アニメ版オリジナルキャラクター。老中首座。露出魔で故意に下半身を露出しモザイクをかけられる。
反対派を黙らせるための武力を欲し、鳥居・遠山のロケット計画に飛び付いた。二発目のロケット打ち上げと自分の老中罷免の前夜、ご隠居から貰った「若返りの薬」を屋敷の池に捨てていた所を眼に襲われ気絶させられた。
「ラヴヘブン」の水野忠邦
乙女パズルゲームの攻略キャラクター。初期レアリティはRでの登場。
異世界の危機を救うため、主人公により召喚された。
年貢の取り立てが厳しかった事で、家臣達から後年まで恨まれる結果を生んだ事を後悔している。