武邦彦
たけくにひこ
経歴
実家は函館市郊外の大牧場を営んでいたが、第二次世界大戦後、GHQの農地解放令により接収されている。
中学2年生の時に京都競馬場で厩舎を開いていた叔父の勧めで京都府京都市に移り、騎手見習いとなる。しかし騎手試験に数度落第するなど苦労人で、高校卒業後の19歳にようやく合格。現在では珍しい高卒ジョッキーとなった。
1957年に騎手デビューし、1960-70年代にかけて栗東の騎手として活躍、繊細な手綱さばきと理にかなった確実な騎乗から「ターフの魔術師」「絹糸一本で馬を御せる」と称され、同時期に活躍した「天才」福永洋一とはよく比較された。また関西騎手ながら当時としては珍しく関東馬も多く騎乗し、今の特定の厩舎に所属しないフリーランス騎手の先駆けとなった。
1984年に調教師免許を取得したことで騎手を引退し、1987年に厩舎を開業。以後、2009年に定年引退するまで20数年にわたって厩舎を構えてバンブーメモリーやメジロベイリーなどを手掛けた。
調教師引退後は競馬評論家として活躍したが、2016年8月12日、病気のため滋賀県栗東市内の病院で死去。77歳。葬儀では"メイショウ"の冠名で知られる松本好雄氏が友人代表として弔辞を述べた。
私生活では結婚後4名の男子に恵まれる。
人物
- 非常にスマートかつ都会的なイメージを持ち、騎手としては群を抜く172cmという長身や端正な顔立ちから、当時としては珍しく女性ファンが多かった。記者とも談笑し、休日には家族サービスに努めるなどといった邦彦の姿は、当時の騎手像であった勝負師然としたイメージに当てはまらないもので、競馬への造詣も深かったことで知られる寺山修司(歌人・劇作家)に「サラリーマン時代のアイドル」とも称された。
- ちなみに邦彦の長身ぶりは息子の豊(170cm)や幸四郎(177cm)にも受け継がれている。
- 長身故に減量に大変苦労したが、落馬事故の療養中に温泉療法に真面目に取り組んで以降は脂肪が落ちて減量に苦労しなくなったという。
- 酒豪としても有名。騎手時代は食べる代わりにビールで満腹感を得ていたなど酒にまつわるエピソードは多く、落馬事故で重傷を負って入院していた際もストローでビールを飲んでいたり、関東遠征から帰る新幹線の車中において、車内販売で売りに来たウイスキーのミニボトルをすべて飲んでしまったこともあった。
他の騎手・調教師との関係
騎手時代の晩年に所属していた武田厩舎の弟弟子に河内洋がおり、彼は邦彦から影響され騎手として大成し、のち調教師となった。息子である豊もまた武田厩舎の弟弟子であり、河内から影響を受けて騎手として大成した。
- 河内洋
前述のとおり、武田作十郎厩舎の弟弟子。邦彦が調教師として手掛けた代表馬の一頭バンブーメモリーは何度か河内が騎乗していた。
- 福永洋一・祐一
福永洋一は騎手時代にリーディングを競い合った仲であり、10歳の年齢差があったにもかかわらず親友同士で、洋一が落馬事故で無念の引退を余儀なくされた後も交流は続いた。洋一の息子である祐一は父の代からの縁で豊・幸四郎兄弟とは旧知の仲だが父子二代に渡るライバルとなる。現在では幸四郎の管理馬に祐一が騎乗することもある。
邦彦が調教師になって富雄の息子・典弘がデビューした後は典弘を管理馬14頭に乗せており、メジロベイリーが勝利した朝日杯も典弘の騎乗だった。典弘自身は邦彦は「(調教師になってからも)ジョッキー」気質だったと語っている。