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Fw190の編集履歴

2012-04-03 20:43:03 バージョン

Fw190

えふだぶりゅーいちきゅうまる

ナチスドイツ、フォッケウルフの開発した戦闘機。『操縦も、整備も、生産も楽に行える戦闘機』を主眼に開発された。性能も敵であるアメリカに『大戦中ではドイツ最良の戦闘機』と評価されてしまう程の高性能を誇る。のちに液冷エンジンを搭載したD型やTa152が開発され、こちらも大いに活躍した。

私が求めているのは「軍馬」なのだ!

Ta152でも触れたが、これは設計したクルト・タンク博士のモットーである。


ヒトラーの再軍備宣言以来、ドイツは軍備拡大を続けていた。

しかし主力戦闘機であるMe109は操縦が難しく、

また生産でも、複雑なエンジンの供給には不安があった。


これに危機感をもった空軍は1938年、フォッケウルフ社に補助戦闘機の開発を命じた。

そしてフォッケウルフ社では、設計主任クルト・タンクを筆頭に開発を進める事になった。


開発コンセプトは

『私の戦闘機は速いだけが取り柄のサラブレットではなく、体の丈夫な騎兵の馬であるべきだ!

である。


かくして空戦で強いだけでなく、操縦も容易で修理も簡単、さらには生産もし易いという

兵器としても理想的な戦闘機が生まれるのである。


『ドーバー海峡に高性能機あらわる!』

上記のように「補助戦闘機」とされたので、空軍上層部での地位は高くなかった。

あくまでもMe109が主力だったからである。


しかし、現場での評判はすこぶる良かったという。

生産や整備といった裏方だけでなく、何よりも高性能だったのでパイロット達にも好評だった。


この秘密はロールレートを重視した事で、切り替えしを多用する格闘戦で強さを発揮した。もちろんエンジンの大馬力(1941年の時点で既に1500馬力)を生かした垂直面の空戦機動も大得意で、急降下からの一撃離脱では無類の強さを誇った。


初陣は1941年の「バトル・オブ・ブリテン」で、

イギリス空軍(RAF)の高性能機スピットファイアを圧倒する性能をみせた。

これはスピットファイアの改良モデルが登場するまで続き、

ましてやハリケーンなど旧式機には恐怖の日々が続いた。


戦場を渡り歩く軍馬

のちにバルバロッサ作戦が発動し、戦場はロシアの大地へと移っていった。

Fw190はここでも活躍し、基本的な戦闘機型であるA型をベースに、

攻撃機型のF型や長距離攻撃型のG型も生み出された。


ルーデルなどはFw190にも多く搭乗しており、

実はJu87よりも多く乗っていたという。

(さすがに火力はJu87Gの方が上だが、それ以外の性能ならFw190が上)


軍馬は仕事を選ばない

Fw190A-9を基に、エンジンを高高度対応の液冷エンジン(ユモ213)に換装したFw190D-9が生み出された。これにより今までなら硬度7000m以上で低下する性能を補う事が出来た。


Ta152にも共通する問題だが、高高度用の過給機(スーパーチャージャー)が万全ではなかったため、高高度性能は計画ほど高くはならなかった。

それでもドイツ上空の連合軍爆撃機部隊にとっては脅威であり、

終戦の日まで恐怖の的であり続けた。

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