概要
大正13(1924)~平成5(1993)年。東京府北豊島郡(現在の東京都北区)生まれ。本名は字が同じで、「公房」を「きみふさ」と読む。
三島由紀夫らとともに第二次戦後派の作家とされた。作品は海外でも高く評価され、30ヶ国以上で翻訳出版されている。
幻想的、超現実的な作風で知られ、不条理な展開と軽やかかつ写実的な筆致で綴られる物語が特徴。
小説家としての活動のほか、自身の名前を冠した演劇集団「安部公房スタジオ」を立ち上げ、舞台演劇の世界でも活躍した。
1992年12月25日に脳出血で倒れ、入院。その後年を跨いだ1993年1月16日に経過良好につき退院するも、インフルエンザを発症し1月20日に再び入院する。一時は回復の兆しがあったが、22日の朝に急性心不全で死去。
没後、執筆に使用していたワープロのフロッピーディスクから執筆中の原稿が見つかった。
人物
- 医師であった父の任地の、満州国奉天市(現中国瀋陽市)で育った。また、母は生前一冊だけ小説を発表している。
- 本人も東京帝国大学医学部医学科に在籍していたが、さまざまな事情が絡み医師免許は取得しない形で卒業している。
- 妻は女子美術専門学校(現在の女子美術大学)の学生であり、のちに「安倍真知」の名前で安倍の著作の装丁画や舞台の装飾などを手がけている。
- 娘が一人おり、真知の提案で宮沢賢治の『グスコーブドリの伝記』から取られた「ねり」という名前である。ねりは公房の死後に刊行された全集の編集にも尽力した。
- 女優の山口果林は、2013年に自身のエッセイで20年以上に渡り愛人関係にあったことを告白している。
- 日本人で初めてワープロで小説を執筆した作家である。使っていたワープロはNECの『NWP-10N』と『文豪』であった。
- 世に普及する以前にシンセサイザーを購入して使用していた。当時、職業目的以外で使用していたのは安部のみであるといわれる。
代表作
「赤い繭」
「砂の女」
「壁 - S・カルマ氏の犯罪」
「箱男」
「棒」
「第四間氷期」
「方舟さくら丸」
「燃えつきた地図」
「カンガルーノート」
「他人の顔」
「密会」
「友達」(戯曲)