概要
古代中国において西方に住むと言われた異民族「西戎」の一氏族で、中国語ではチュアンロン(Quanrong)と呼ぶ。
なお「戎」とは戦に用いられた兵器を意味する漢字である。
別名として畎戎(けんじゅう)、犬夷(けんい)、昆夷(こんい)とも呼ばれており、殷墟から発掘された卜辞(殷の遺跡から発掘された甲骨文)に書かれた犬侯(けんこう)、犬方(けんほう)や、殷周時代の記録にある鬼方(きほう)、玁狁(けんいん)も同様な者たちであると考えられている。
紀元前771年には、勢力を広げた犬戎によって周朝の十二代目王である幽王が殺されたために、西周は東の洛邑に遷都せざるを得なくなったといわれ、後代には他の氏族と統合されて匈奴と呼ばれるようになり、中華の民に恐れられたといわれる。
『山海経』の犬戎
古代中国の地理書『山海経』の「大荒北経」に記述がある異民族で、融父山という順水という川が流れる山に住んでおり、黄帝の子孫である(黄帝が曾祖父、苗龍は祖父、融吾を父とする)弄明の子である両性の白犬が祖であるという。
肉を主食とし戎宣王尸(じゅうせんおうし/ロンシュエンワンシィ)という赤毛の頭が無い馬の姿をした神を奉じていたとされる。
創作での扱い
舞台の時代より約500年前に周を滅ぼした騎馬民族の末裔で、趙の橑陽城を根城とする残忍な犬戎王ロゾに率いられた蛮族「犬戎族」として登場。
ゴバ、ブネン、トアクの三将を要しており、秦に味方する山の民と戦った。
なおそれ以前にも、趙と争っていた燕の劇辛将軍率いる本隊主力「毒犬」の構成員として、その末裔が登場していた。