複雑なところ
とにかくどの伝記にも『オクター』がどうゆう『気質・性格で』どいうゆう人間だったのか『書いていない』
いまだに『解からないのである』はっきりいってこれは『異様なことである』
(本人が削除したのかもしれない)
男・女に『もてたのか』『もてなかったのか』や
女たらしだったのかホモッ気があったのか
全ては謎のままである・・
解かっていること
GAIVS OCTAVIVS THVRINVS
騎士階級に属するガイウス・オクタウィウスとアティア(カエサルの姪)との間に生まれる。
出生の時の名はガイウス・オクタウィウス・トゥリヌス(Gaius Octavius Thurinus)と称する。
姉には小オクタウィアがいた。
幼少の頃はウェレトラエ(現ヴェッレトリ)の祖父のもとで過ごす。
紀元前58年、父と死別。その後、母アティアはルキウス・マルキウス・ピリップスと結婚
この時トゥリヌスは新夫妻の元へ引き取られ、継父は実の息子とともにトゥリヌスを可愛がったという。
『全裸経験あり』 オクター11歳
紀元前47年には神祇官 (Pontiff) に任命される。(当時11歳)
紀元前46年には大叔父カエサルの建造したウェヌス神殿を記念して
ギリシアの古代オリンピックに参加させられる。(強制的に)(当時11歳)
(あだ名禿)
余談
- オクタウィアヌス自身はイケメンで有名なアポロ神が気に入っていたような『行動』をしたことがある。
- 後代のローマ元首ネロは古代ギリシャマニアでありギリシャ文化を模範にし少年愛を実践していたので、当然オリンピア祭にも出場したかったのだが 出れませんでした
- 理由はネロはそこまで『美男』でなかったからだという伝説がある
- オリンピア祭はそこまで厳格に『美男の裸体』にこだわる・・。
本来は大叔父のアフリカ遠征に付き従いたかったのだが、母アティアの反対により断念となった。
体が・・・・
紀元前46年にカエサルのヒスパニア遠征に従軍したが、
ムンダの戦いでカエサル軍が勝利をすでに収めた後であり、
彼自身も出立直前に病に倒れる結果となってしまった。
病が治るとすぐに戦場に船で急行したが、
中で船が難破しカエサルと敵対する勢力の真ん中に漂流してしまう。
オクタウィアヌス『もうだめだ・・・』 さじを投げた・・。
ここでトゥリヌスは生き残った少数の兵を掌握し敵陣を横断、
この彼の行動はカエサルに強い印象を与え、
一説にはこの時にカエサルは自分の後継者としてトゥリヌスを選ぶ事にしたと言う。
またトゥリヌスは計画されていたパルティア遠征には司令官として赴くことになっていた。
そして虚弱体質で軍才もないという弱点を補うべく、
生涯の盟友となるマルクス・ウィプサニウス・アグリッパともこの前後に引き合わされた。
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揺れ
オクタウィアヌス オクタビヤヌス・オクタビウス・オクタヴィヤヌス・オクタビアヌス・オクタヴィウス