概要
胡遵とは、雍州安定郡出身の人物であり、出自や前半生はよくわかっていない。
一説には、200年前後の生まれとされている。
胡遵は文武両道の人物であり、その才を張既に見いだされて魏に仕えた。
魏に仕えてからは、数々の武勲を上げ、重要な戦いの最前線で武を振るったことから、司馬懿からかなりの信頼を寄せられた人物である。
匈奴の討伐や諸葛亮の北伐迎撃でに参陣し、238年の公孫淵討伐では司馬懿によって派遣され、卑衍の軍を敗走させて魏軍の勝利に貢献した。
252年には呉の孫権が死去した為、司馬師や諸葛恪と共に東興に攻め込むが丁奉・留賛らの奇襲に遭い、胡遵は奮戦するもやむを得ず敗走した。
255年、毌丘倹・諸葛恪の反乱を起こした際には、敵軍の退路を遮断し勝利に貢献し、衛将軍に上り詰めた。
256年将軍在任のまま病死する。享年不詳。