概要
ポジションはFW。ハンブルガーSVのジュニアユースから、現在はバイエルン・ミュンヘン所属。異名は「ドイツの若き皇帝」「ミスター・ヨーロッパ」。
西ドイツジュニアユース、ドイツユース代表のキャプテンを務め、後にフル代表にも選出される。大空翼のテクニックと、日向小次郎のパワーを兼ね備えたプレースタイルである。
その足から放たれる必殺シュートは「ファイヤーショット」。
日向のタイガーショットよりも高威力のこのシュートは、ボールの回転は凄まじいものがあり摩擦の熱によって生じる、ボールの焦げ臭いにおいからこの名が付けられた。
西ドイツジュニアユース時代の監督は「FW以外にもMF、DFとしての能力も一流であり、そのことからドイツ人にとって最高名誉である皇帝の称号が与えられた」と語っている。若林源三にとって西ドイツ・ドイツでの盟友かつ最大のライバルで、現在もその関係は続いている。
若林から試合外での記録だが、ペナルティエリア外からのゴールを2分の1の確率で奪っていた。ハンブルクジュニアユース時代には若林、ヘルマン・カルツと共に、チームを西ドイツ&ヨーロッパNo.1に導く。父・ルディも有名な元サッカー選手で、バイエルン移籍後は父が監督となり、ハンブルガーSVの前に立ちはだかる。カルツとは幼馴染。性格はクールで現実的。マリーという妹がいる。サウザーという名の犬を飼っている。
なお、原作漫画に先行する形でアニメ版の映画作品「キャプテン翼 ヨーロッパ大決戦」に初登場している。
ジュニアユース編
幼少期より元ハンブルグ所属のサッカー選手であった父親の教えを受けサッカーの才能を開花させ、ハンブルグジュニアユースで西ドイツ&ヨーロッパのNo.1を獲得。父親は元ハンブルクの監督代行で、所属選手とのいざこざで解雇された経歴があるため(それが原因で父親が酒に溺れ家庭内暴力をふるうようになり、母と離別していた)、試合では「ヘボ監督の息子!」と心ない中傷を浴びせらることもあった。父の教えで育った自身のサッカーを通して父親の汚名を返上したい、そしてもう一度復縁してもらいたい、と家庭思いの一面があった。そのため若林を単に「戦力になる」という理由で毎日練習に付き合ったり、「バイエルンなら早くプロデビューできる」という理由から長年慣れ親しんだハンブルクを離れるなど非常に現実的であった。ハンブルグでの最後の試合となる全日本との親善試合では5点を挙げ、若島津を負傷退場させたうえに日向にストライカーとしての格の違いを見せつけた。第1回国際ジュニアユース大会では準決勝まで全試合ハットトリックを決めた。決勝のハーフタイムで、予想外にも同点であったことでヒステリックに怒鳴る監督をなだめ、サッカー三流国とされていた日本の強さを認めつつもゲルマン魂で「絶対に勝つ」とチームメイトを鼓舞する場面等が見られた。その決勝ではハットトリックやペナルティエリア外からシュートを狙うものの、若林に阻まれて2点に終わったが、得点王に輝き、全日本対西ドイツは、その後後世まで語り継がれる名勝負となった。大会終了後、15歳にしてバイエルンでプロデビューを果たす。
ワールドユース編
父の率いる東西統一後のドイツ代表のキャプテンとしてワールドユースに参加するも、予選では戦力を研究されたスウェーデンに3-5、準決勝のブラジルにはミューラーの負傷があったとはいえ0-5で敗れた。なお、ユース大会前に日本とメキシコの選手同士のいさかいを翼とともに率先して止めるなど、性格の変化が見られた。
ROAD TO 2002
かねてより若林にバイエルン入団を強く勧めていた。ブンデスリーガで古巣ハンブルガーSVと激突するが、アウェーで引き分け狙いのサッカーに終始するハンブルガーSVに失望する。この事から幼い頃からの友人同士であったカルツや若林との仲に亀裂が生じてしまう。試合終了後には和解し、今度はバイエルンのホームでハンブルクと勝負することに触れて終了。この試合でシュナイダーは、オーバーラップした若林の裏をかき、センターライン付近からのシュートを成功させている。
関連タグ
肖俊光、ステファン・レヴィン・・・『ROAD TO 2002』でバイエルンのチームメイトに。
誤表記