「これ以上ペナルティエリアの外からシュートをきめられるわけにはいかねェんだよォ!!」
プロフィール
概要
SGGK(スーパーグレートゴールキーパー)の異名を持つチートなゴールキーパーであり、全日本の守護神。
ポジションはもちろんGK。
国内のみならず世界でも屈指の実力を持る天才キーパーである。静岡県出身。
実家は江戸時代の駿河(現在の静岡県)豪商から始まり明治において初代当主若林源左エ門が一代にて巨万の富を築いたのを皮切りに現代まで繁栄を続ける名家中の名家であり地元での影響力も絶大。長男の修一、次男の栄二と比べてもかなり年が離れて生まれた子供であるからか父親の若林修造からは溺愛されており、誕生日のプレゼントとしてねだられたので小学2年生の時に世界のサッカービデオ百巻と学校にサッカー専用グラウンド、3年生の時に自宅の屋敷にナイター設備付きの個人専用サッカーコートを作ってしまうほど。
「ペナルティエリアの外からのシュートは必ず止める」と本人も豪語しており、作中で実際にこの伝説をやぶった選手は数えるほどしかいない。また自分が点を取られなければチームが負けることはないという考えの持ち主である。
大空翼の最初のライバルであり、ワールドカップ優勝を誓い合った朋友でもある。また、カール・ハインツ・シュナイダーとは、終生のライバルである。
トレードマークはキャップで、メーカーを変遷しつつも常時かぶり続けている。
統率力にも秀でており、その時々でキャプテンを担うこともあった。
チートじみたセーブ率と比例するかのように負傷率が高い。
経歴
修哲小FC→南葛SC→ハンブルグ
「ジュニアユース編」にてハンブルガーSVと契約を結び15歳でプロデビューを果たすが、「ROAD TO 2002」で監督との不仲が決定的となり、続く「GOLDEN-23」時点では3試合連続出番無しという状態に置かれていたことから、全日本監督の吉良耕三に呼び出され、U-22日本代表に復帰することとなった。
SGGK伝説
作中屈指のチート性能を誇るキーパーであるがゆえに、大量失点を許すシーンを描くわけにはいかないという作者の配慮というか苦肉の策として、怪我がものすごく多い。(ジュニアユースまでの翼にも同じ事が言える)
怪我の影響で試合に出られなくなる展開は多く「若島津健と森崎有三がボロボロになったあとに決勝だけ出て全部もっていく」というイメージが強い。