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中村憲剛の編集履歴

2023-09-20 01:22:06 バージョン

中村憲剛

なかむらけんご

中村憲剛は、日本のサッカー選手。

概要

東京都小平市出身。


1980年10月31日生まれ。

東京都立久留米高校(2010年廃校、ただし施設は東京都立東久留米総合高校に「再利用」)から中央大学を経て2003年に川崎フロンターレに入団。当時、大卒選手はプロ入りの機会を逃したマイナスイメージが強く、当初は全くの無名選手だった。

しかし、その後の努力により2006年、2010年には日本代表に選出された。


2016年、36歳でJリーグMVPに選ばれ、当時最年長記録としてギネス世界記録に登録された。

2017年には入団から15年、2位で迎えた最終節を5-0で勝利し、J1リーグを逆転優勝。37歳にして念願の初タイトルを掴む。優勝が決まった瞬間にこれまでの努力が報われた彼は膝から崩れ落ちて涙した。

2018年には連覇を達成。

2019年には左膝前十字靭帯損傷、左膝外側半月板損傷という大怪我を39歳で負い、全治7カ月の時間を有したが、2020年の復帰戦でいきなりゴールを決め、同年の10月にはリーグ史上初となる40代でのバースデーゴールも記録した。

翌日、現役引退を発表。リーグ優勝と天皇杯優勝という形で現役生活に幕を閉じた。

同年、川崎市への貢献、上記の活躍が評価され、史上3人目となる川崎市市民栄誉賞を受賞した。

2003年から2020年に引退するまで川崎一筋のサッカー人生を歩み、多くの選手から尊敬され、その人間性から他クラブのサポーターからも愛され、惜しまれたバンディエラである。


また、無名の大卒選手から日本代表に選ばれ、リーグMVPを歴代最年長で受賞、世界最高のMFと呼ばれたアンドレス・イニエスタからも神選手と評価されるほどのサクセスストーリーを歩んだ選手でもあった。


引退後の2021年からはFRO(Frontale Relations Organizer)という役職に就き、川崎のアカデミーおよびスクールにおける育成・普及活動でのサポートを行い、引退後もサッカー界の発展に力を注いでいる。


関連タグ

志村けん 高校の大先輩、だけでなく、サッカー部の大先輩でもある。2020年に志村が亡くなった際には、ブログで追悼している。

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