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西園寺実兼の編集履歴

2024-01-03 21:55:42 バージョン

西園寺実兼

さいおんじさねかね

西園寺実兼とは鎌倉時代の公卿。

概要

父は西園寺公相、母は中原師朝の娘、官位は従一位・太政大臣


プロフィール

時代鎌倉時代後期
生誕建長元年(1249年)
死没元亨2年9月10日(1322年10月21日
官位従一位、太政大臣
主君後深草天皇亀山天皇後宇多天皇伏見天皇
氏族西園寺家
父母父:西園寺公相、母:中原師朝の娘
兄弟実兼、実康、実顕、実俊、尊教、勝恵、実守、嬉子、相子 、近衛基平室、徳大寺実孝室、九条忠教
中院顕子(中院通成の娘)、花山院師継の娘、藤原孝子(藤原孝泰の娘)
公衡、覚円、鏱子、瑛子、公顕兼季、性守、道意、禧子、公具

経歴

建長5年(1255年)に従五位下、後に侍従・左近衛少将、左近衛中将となり文応2年(1261年)に従三位となり文永3年(1266年)に権中納言、文永6年(1269年)に関東申次となり以降持明院統大覚寺統の皇位継承問題に関わった。文永8年(1271年)に権大納言、後に春宮大夫、大納言、右近衛大将を経て正応2年(1289年)に内大臣に就任、正応4年(1291年)に太政大臣に就任した。


外部リンク

西園寺実兼 - Wikipedia


関連タグ

公家 西園寺家 鎌倉時代

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