司馬尚
しばしょう
戦国時代、趙の将軍。李牧と並び有能な将軍と評された。
概要
趙の幽繆王の7年(紀元前229年)、司馬尚と趙の将軍李牧は軍を率いて秦の将軍王翦の攻撃に抵抗。しかしその後、幽繆王は郭開からの讒言を聞き、李牧を処刑。司馬尚は身の危険を感じて逃亡したために、そのまま解任されて更迭された。翌年、秦は再び趙を攻撃し、趙王妙は捕らえられ、趙は滅ぼされる。
……と、中国語版のウィキペディアにも記述が少ない。
『キングダム』では
502話では後ろ姿だけ登場。趙の東部にある中都市・青歌城の城主。
この時点では青歌軍の存在が示唆されたのみで、肥下の戦いにも青歌軍は加勢していたが、司馬尚の姿は見られなかった。
つまり初登場から長らく後ろ姿だけしか描写されなかった(もっとも合従軍の頃から名前だけ出ているが一向に姿が描写されない楚の大将軍も居るため、登場を引っ張る展開は珍しくない)。
『キングダム公式ガイドブック 戦国七雄人物録』においても後ろ姿の掲載となっている他、ステータスも一切の謎に包まれていた。
そして782話でついに全身が明かされる。
龐煖程では無いにしろ一般的な兵士に比べれば大柄の猛将であり、かなり癖の強いツインテールが特徴的な男性の武将である。
ちなみに騎乗する馬も何気に一般兵よりも大柄。
番吾の戦いでは李牧の策により飛信隊や玉鳳隊が李牧に向けられ、王翦軍が手薄になった隙を突いて急襲。
この際、カン・サロを迎撃しようとしていた田里弥軍の武将を青歌軍の大将軍であるにもかかわらず秦軍には誰にも悟られずに大矛で瞬殺している(本誌の読者はワープしていると表現していた)。
肥下の戦いの前の時点では三大天では無かったが、番吾の戦いでは三大天であることが明かされた。