赤兎馬
せきとば
中国の『三国志』及び『三国志演義』に登場する馬。呂布または関羽の愛馬。
概要
三国志最強と名高い呂布の愛馬として知られている馬。また、三国志関連の作品においては名馬中の名馬の扱いを受けることが多く、関連作品以外でも名馬の代表格的存在として名前がよく挙がる。
『三国志』には「布有良馬曰赤兔((呂)布に良馬あり、曰く赤兔という)」とある。さらに、注に引く『曹瞞伝』(呉側の文献)によると、呂布の武勇と併せて「人中有呂布 馬中有赤兔(人中に呂布あり、馬中に赤兎あり)」とあり、馬であるにもかかわらず賞されたという。つまり、当時から呉にも名声が鳴り響いていた存在だった。
『演義』においては、より細かな性格付けがなされており、赤兎馬は元々は西方との交易で得た汗血馬であり、一日に千里を駆けることができた稀代の名馬と言われている。
また最初の主人は董卓であったが、呂布とその養父の丁原を仲違いさせるために呂布に贈られた。
その後、曹操が呂布を討ち手に入れるが、大変気性が荒く誰も乗りこなせずにいた。そして、客将として関羽が曹操の元にいた際、関羽を部下にしようと画策して、赤兎馬を彼に贈ったところ、見事に乗りこなして、そのまま関羽のものとなった。
その関羽の死後、呉の馬忠に与えられたが、馬草を食わなくなって死んだという。