「これこそが『崇高』へと至る道。」
プロフィール
所属 | ゲマトリア |
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人物
長身で、長い黒髪に赤い肌、白いドレスを身に纏う。目がついている翼で埋め尽くされた毛玉の様な頭部を持つ女性で、口の中は乱杭歯となっており、禍々しい雰囲気を放つ。
貴婦人めいた身なりから、ゲマトリアのメンバーやアリウス分校の生徒からは「マダム」と呼ばれている。
「子供達は大人が搾取すべきもの」と見做しており、用済みになった存在や邪魔者を始末することも厭わない傲慢な人物。
他のゲマトリアのメンバーと異なり、巨大な怪物のような姿になる事が出来る。その際は頭部が花のように開き、赤い光輪を背負った姿となる。(エデン条約編第4章前半のキービジュアルのステンドグラスに描かれていたのはアンブロジウスではなく彼女の姿であったことが判明した。
ゲマトリアには後から加入した模様で、他のメンバーとはスタンスが異なる部分があり、ゲマトリアの中で唯一先生を排除すべきだと考えている。
スタンスの違いはゲマトリアが関わったものへの扱いにも表れており、探究や芸術といった独特のこだわり意識をもっている他の3名に対して、あくまで結果を得るための道具にすぎないと割り切っている。そのためか、他のメンバーとは馬が合わず、特に美的感覚にこだわりのあるマエストロとは反目しあっている。
キヴォトス内に自身の領地や配下の生徒達を手に入れるなど、ゲマトリアのメンバーでは突出してキヴォトス世界に影響を与えており、その手腕は黒服からも評価される確かなものだが、自分こそ頂点であると憚らず、他者に対する敬意を持たないどころか、気に食わないことがあれば罵詈雑言で喚き散らすなど器の小さい面も目立つ。
メインストーリー中での動向
初登場はメインシナリオVol.3「エデン条約編」。
アリウス自治区を支配して自身の領地とし、アリウス分校の生徒達にトリニティ総合学園やゲヘナ学園に対する憎悪を増幅させる洗脳教育を施していた、エデン条約編における一連の事件の黒幕的存在。
大人でありながらアリウス分校の生徒会長の地位に就き、アリウスの生徒達を自身の手駒として利用していた。
3章時点でその存在が示唆されており、4章で本格的に登場。作戦に失敗したアリウススクワッドを他のアリウス生徒に襲撃させ、かねてからの計画である「儀式」に必須の存在であるアツコの身柄を確保した。
その後はゲマトリアの会議に出席。その際に、夢を通じて会議を覗き見していたセイアの存在をメンバー内で唯一知覚し、意識に干渉して深傷を負わせた。
その後は着々と儀式の準備を進めていたが、先生の協力を得たサオリ、ヒヨリ、ミサキの3人がアツコを奪還せんとアリウス自治区に侵入。それでも余裕綽々の態度で、彼女らを騙して得ていたミメシスの複製軍団を展開し、通信を介して先生にも傲慢極まる持論を語り、宣戦布告。
予定を早める中、イレギュラーとして突如現れたミカを無視する事もできなくなったため、遂に儀式を開始し、アツコから神秘を吸い始める。
だが、いざ対峙した先生+スクワッドにはあっさり敗北する醜態を晒し、なおも足掻き立ちあがろうとするが、そこにゲマトリアのメンバーであるゴルゴンダ&デカルコマニーが登場。彼から「あなたは先生の敵対者などではなくただの舞台装置でしかない」と手厳しい評価を下されそのまま回収された。
結果、メインストーリー最終編では、敗北したことで先生をより深く恨んでおり、相変わらず始末するべきと進言、他のメンバーのやり方まで否定し場の空気を乱していた。
更に自身の憎悪に飲まれ理性を失っており、「色彩」に全てを売り飛ばす形でキヴォトスを消し去ると宣言したため、遂に組織も彼女を見限り排除を決断。
そのままゴルコンダの発明(「色彩」への対抗を目的とした、何らかの道具のようなもの)で異空間へ追放されるかたちで消されることになった。
が、時すでに遅くキヴォトスは色彩に攻め込まれ、残されたゲマトリアも大ダメージを受ける結果となった。
余談
モチーフ
彼女の登場する「エデン条約編」はキリスト教関係のモチーフが多くあることから、名前の由来はダンテ・アリギエーリの叙事詩であるキリスト教文学の金字塔的作品『神曲』に登場する同名の人物、ベアトリーチェと思われる。また特徴的な「目のある翼」はヨハネの黙示録4章に登場する熾天使の描写、及びそれを元にした絵画作品群に近い。
先生のセリフの一つとして有名な「黙れ」だが、これはベアトリーチェが吐いた外道極まりない発言に対するもの。先生がここまで語気を荒くしているのは後にも先にもこの場面のみであり、彼女の言動・思想が悉く先生の信念を逆撫でするものだった事が窺える。
最終編4章実装後…
最終編4章が実装された後、ベアトリーチェは結果としてファインプレーをしていたとする考えも散見された。
前述の通り最終編のベアトリーチェは色彩を呼んで退場していったが、これは最終編のすべての展開の端緒となった。本来なら色彩と接触する可能性は「砂漠で一粒の砂を見つける程度」だとも語られており、ベアトリーチェの動きがなければ最終編は起きなかったかもしれない。
という仮定から、先生がある存在(リンク先ネタバレ注意)に対して出来たことは、遡ればベアトリーチェのおかげともいえる、という解釈である。
だがベアトリーチェ自身にその意図がなかったことは明らかのため、この解釈をもって再評価とはいかないようだ。