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尾崎行雄(政治家)の編集履歴

2024-03-13 16:59:09 バージョン

尾崎行雄(政治家)

おざきゆきお

「尾崎行雄(政治家)」とは明治・大正・昭和の政治家。

同姓同名のプロ野球選手は「尾崎行雄」を参照。

概要

(1858年 - 1954年)

号は咢堂(がくどう)。相模国津久井県又野村(現・神奈川県相模原市緑区又野)生まれ。

日本の議会政治の黎明期から戦後に至るまで衆議院議員を務め、当選回数・議員勤続年数・最高齢議員記録と複数の日本記録を有することから「憲政の神様」「議会政治の父」と呼ばれる。

最初は海軍省、報知新聞(現在はスポーツ紙「スポーツ報知」)記者を経て明治23年(1890年)の第1回衆議院議員総選挙で三重県選挙区より出馬し当選、以後63年間に及ぶ連続25回当選という記録をつくる(これは世界記録でもある)。

昭和28年(1953年)のバカヤロー解散による総選挙(第26回衆議院議員総選挙)で落選。これを機に政界引退を表明し、衆議院から名誉議員の称号を贈られた。94歳まで衆議院議員を務めた。

昭和29年(1954年)10月6日、直腸ガンによる栄養障害と老衰のため95歳にて死去。

余談

意外な事実だが、実は四男・行輝共々明治のパリp…もとい、スポーツ愛好家集団「天狗倶楽部」のメンバーである(なお加入は行輝の方が先)。なお正式に加入したのはナンバー1の押川春浪亡き後の大正4年(1915年)で当時58歳第2次大隈内閣現役の司法大臣だった(なお翌年総辞職)。さすがに破天荒な活動には参加していなかったが、彼らの宴には参加していたようだ。

江戸明治大正昭和戦後までを生き抜いた数少ない人物でもある。

関連タグ

政治家 尾崎

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