T!N!G!T!N!G!
「明治の世にこんなにウザくてチャラい輩がいるわけないと思うでしょうが、残念ながら実在したんです」大河ドラマ「いだてん〜東京オリムピック噺〜」ナレーションより
概要
明治42年(1909年)頃、冒険小説家の押川春浪を中心に集まったスポーツ愛好家集団。入退会のための手続きは特にないし、名簿等も特になかった。彼らの活躍(?)は当時の雑誌や新聞に面白おかしく書かれている。
中心となったメンバーは文武両道の(一応)エリート揃いであり、「〇〇天狗」(〇〇には各々の苗字が入る)と呼び合うのがお約束。
春浪が好きだったという野球を中心に相撲、テニス、柔道、陸上競技など活動内容は多岐にわたり、メンバーの中にはプロ野球の創生にかかわった押川清(春浪の弟)と河野安通志、日本初のオリンピック代表選手の三島弥彦をはじめとしたそのジャンルで歴史に名を遺す者までいた。
意外なところでは「憲政の神様」尾崎咢堂とその四男・行輝もメンバーだったという。咢堂に至っては加入当時58歳(大正4年加入。当時現役の司法大臣)であり、この集団の懐の深さが窺い知れる。
しかし、リーダーの春浪が大正3年(1914年)に38歳で、ナンバー2の中沢臨川も6年後の大正9年(1920年)に41歳で早世したこともあり活動も下火になっていくが、活動そのものは太平洋戦争末期(1943年(昭和18年)には春浪の三十回忌墓参会を日本文学報国会と共催で行ったという記録が残っている)まで続いた。
大河ドラマ「いだてん」でも
「我らはスポーツを愛し、スポーツに愛され、ただ純粋にスポーツを楽しむために活動する元気の権化!T!N!G!」
という部訓のもと、第1回の時点で(ホームランした野球ボールを追いかけて)三島家のパーティーに乱入しては上着を脱ぎ、酒をラッパ飲みするなど痛快男子っぷりを見せつけた。
遂には公式で天狗俱楽部動画が作られた(現在は削除済み)。
だが実はこれでもまだおとなしい方であり、史実の天狗倶楽部はもっと凄まじいことをやっていたことが本編終了後の「いだてん紀行」第3回で紹介されている。
なお上述の通り史実の天狗倶楽部は昭和の時代でも一応活動はしていたが、「いだてん」劇中ではメンバーの高齢化を理由に第14回(大正2年)を以って解散となった。
…すぐに脱ぐのは相変わらずだったが。
関連項目
横田順彌:『「天狗倶楽部」快傑伝』という彼らの武勇伝を記した本を書いている。