曖昧回避
史実の武蔵
平安時代末期の僧兵。熊野三山別当の息子で、比叡山で暴れた末に追い出されたといわれる。
都で武者達から刀を奪い取っていたが、千本目に義経と五条大橋で戦って敗れ家来となったという。
その後は義経と共に源平合戦で戦い続け、源頼朝から追われた際も付き従った忠臣であった。
平泉で迫る敵を相手に孤軍奮闘し、大量の矢が刺さって立ったまま死んだという。
実在を疑う説も多いが、『吾妻鏡』にも弁慶の名があり、モデルがいたという説もある。
後世になり、「義経記」などの記述を元に作られた能や歌舞伎で庶民に人気を博し浸透していった。
特に出身地とされる和歌山県田辺市では人気がとりわけ高く、毎年「弁慶祭り」が行われるなどしている。