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吉田松陰の編集履歴

2012-10-22 23:43:57 バージョン

吉田松陰

よしだしょういん

文政13年~安政6年 幕末の長州藩士。名は矩方、字は義敬、通称は虎之助・寅次郎など。松陰・二十一回猛士などと号した。

長州(山口県)の生まれ。

6歳のとき山鹿流兵学の師範吉田家を継ぎ、兵学のほか史学を修めた。

また長崎江戸に遊学して時勢に心を動かされ、佐久間象山に師事して洋学などを学び、攘夷論の立場をとる。

ペリー再来に乗じて海外密航を企てて投獄され、出獄後は萩に松下村塾を開いて子弟を教育し、幕末・維新に活躍する高杉晋作久坂玄瑞木戸孝允伊藤博文山県有朋ら多くの人材を輩出した。

安政の大獄に際して捕えられ、刑死した。

『講孟余話』『留魂録』『松陰詩稿』『孫子評注』などがある。

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