ブレーズ・パスカル
ぱすかる
Blaise Pascal
ブレーズ・パスカル(1623年 - 1662年)は、フランスの数学者、哲学者、キリスト教神学者。現代では物理学者としても知られ、パスカルの原理は流体力学の基本原理となっている。
哲学者としては「人間は考える葦である」という名言で知られ、著作では特に(没後編集されたものではあるが)『パンセ』が著名。
といった業績も残している。
39歳の若さで夭逝。遺稿集『パンテ』は有名である。
生涯
1623年、フランス中部クレルモンにおいて、徴税の仕事をする行政官を父として生まれた。二人の姉妹がおり、その内の一人のジャクリーヌとは非常に仲が良く、この世で一番愛していたともいわれる。
パスカルは前述のように、幼少の頃から天才ぶりを発揮していた。例外の多い語学への影響を懸念した父親によって数学から遠ざけられていたが、まだ10歳にもならない頃に、三角形の内角の和が二直角である事や、1からnまでの和が(1+n)n/2である事を自力で証明して見せたと言われている。
パスカルが少年の時に、教育熱心な父親は一家を引き連れパリに移住する。パスカルは学校ではなく、家庭で英才教育を受けた。父親は自然哲学やアマチュア科学をたしなんでおり、その知識をパスカルに授けた。しかも、自宅には当時の一流の数学者や科学者が頻繁に出入りし、自宅は一種の「サロン」や「サークル」の状態になっており、彼はそうした大人たちの集いにも顔を出し、様々な知識を吸収することも出来、大人たちと討論したり思索を深めたりすることで、その才能が本格的に開花した。
1640年、16歳の時に、『円錐曲線試論』を発表。17歳の時には、機械式計算機の構想・設計・製作に着手し、それを見事に2年後に完成させた。これによって、父親の徴税官の(計算の)仕事を楽にしようとしたのだ、とも言われている。またこの計算機の設計・製作に過度に没頭したことが、パスカルの肉体を傷め、病弱となり、寿命を縮める原因のひとつとなった、とも言われている。
人物
- フランスで発行されていた500フラン紙幣に肖像が使用されていた。
- パスカルは「哲学をばかにすることこそ、真に哲学することである」という言葉を残している。